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小説「物理は苦手だったけど、少しだけ引力の話をしないか」 #1

ロック(ンロール)という言葉の響きを「ださい」と思い始めたのは、いつ頃からだったろう。
初めて楽器を持ってバンドを組んだ高校の文化祭、杢のようなくすんだ色味の無地のブラウスに女の子らしいロールアップの水色ジーンズ(もちろん膝に破れ目なんて入ってるはずもない)を合わせた格好でアンプのセッティングをしているメンバーの背中を見ながら、ヴィレヴァンか古着屋あたりで買ったAC/DCのTシャツを着た金髪の私は実に不満だった。あんたら、それでもバンドやってる人間なのか?って本気で思っていた。
今なら分かる。いや、深層心理ではきっと最初から分かっていたけども、認めたくなかっただけなのかも。彼女たちの方が余程大人で、粋だったのだ。その頃の私より余程ロックな在り方だったのだ。AC/DCなんてほとんど聞いたこともないくせに、上っ面ばかりグレた感じにキメて(キマってないけどね)、演奏だってあちらの方が数段上手だった。ついでに恨み言を言うとかなりモテていた。
いつしかロックはださいんだ、よく考えたら語感からしてなんかださいやと思った。ださかったのは中途半端な私自身のほうだと言うのに。

大学では音楽サークルに入らなかった。飲み会の居酒屋で梅酒をたのんで、(意味合いは違えど)ロックでというのもソーダ割りというのもなんだかイヤで特に好きでもないうっすい水割りばかり呑んでいた。
もう少し大人になって、なんかの合コンで出会ったいくつか年上の男に連れられて行ったバーでウイスキーという愉しみを知り、ようやく何の戸惑いもなくロックをたのめるようになった。
隣でモスコミュールばかり連続で呑んでいた男の顔も話もあんまり覚えていないけど、べつにお酒に詳しいわけでもないのに大人の見栄でお洒落な店にとがんばってくれたのがかわいいと思った。今はもう、その時の彼よりきっと私はもう年上だ。
ああ、そうだ、一つだけ思い出した。インディーズチャートで知る人ぞ知る的な人気を博したのち解散した、とある邦楽のグループが好きだと言っていた。
高校のバンドでも何度か弾いた。ボーカル担当の好みだった。パワーコード中心のスコアが多くて比較的覚えやすく助かっていたが、ボーカルと不仲だった私は練習のためにiPodに入れたそれら数曲以外を聴いたことはなかった。
だってあいつの匂いがするんだもん。と当時の量産型反抗期ロッカーもどき16歳が脳内で口を尖らせる。
そいつの口に何個か好物のマカロン(ほらね、結局全然尖ってない)を突っ込み、なんとか黙らせて、サブスクリプションの検索画面に打ち込む。

ラストオーダーカルーア。

改めてみると、なんてやる気のない名前だと笑ってしまう。しかもなぜかカルーア原液で体言止めである。何で割ったんだ。
何曲かが画面に表示される。なんだ、そういうことか。トップソングは「ミルク」。そういえばボーカルが昔「ミルクは本当に神曲すぎて、わたしなんかが畏れ多くて歌えない」的なことをぶりっ子しながらモゴモゴと言っていたような気もしてきた。その頃はカルーアがお酒のリキュールであることを知らなかった。なんか怪物みたいな名前、とだけ。
せっかくなのでそのままボタンを押してみる。バックグラウンド再生にして、明日イベント終了を控えているアプリのゲームのミッションでもこなしておこうか。

数分後、右の頬に涙を一筋流している自分の姿を、この時はまだ知る由も無かった。