神とか、Bitcoinとか。
おはこんばんにちは、れんちょんです。
さて、皆さんは一日の始まりは何から始めますか?
もちろんぼくは、祈りから。
毎朝、家の裏にあるお寺で世界平和を祈ることで一日が始まります。
Миру мир‼️
さて、今日は花見に行ってきました。
花見とはいえ、もう桜は咲いていません。でも大丈夫。今朝方に燦々と初夏の陽射しを浴びる藤の花を拝んだばかりです。ぼくだけ花見成分を勝手に摂取済みです。
ところで、藤の花といえば……
鬼滅の刃ですよね(?)
もうすぐ「柱稽古編」が始まるので、全国、いや全世界の鬼滅キッズたちが全裸待機していることでしょう。ぼくも楽しみにしてます。
ここで半年前のnoteの伏線を回収しました。激アツ展開ですね。悲鳴嶼行冥、好きです。
なぜ鬼滅の話題を持ち出したのかというと、この記事を思い出したからです。
今や世界人口の4人に1人近くがイスラム教徒である時代。アニメのDVD特典の作成においても、イスラム教への理解の欠如は致命的です。しかしながら、「修身」が学校教育から排除され、僅かに残った「道徳」や「心のノート」程度で世界標準の宗教的常識を身につけろというのも酷な話でしょう。キリスト教ならまだしも、ユダヤ教やイスラム教について学ぶ機会は数少ないのが現状です。ましてや、一神教神学のエセンスがそう簡単に身につくはずもありません、ぼく含め。
というわけで、神について思索をめぐらせてみます。
東浩紀の有名なツイート。ライプニッツ的な神。これを西洋哲学の文脈からもあまり抵抗なく「信じられる」人は日本でも多そうです。
中田考の信仰に対するツイート。含蓄があります(?)
人は生きているだけで何かを信仰しているものですが、何が信仰であるか自覚する機会は往々にして少ないものです。
先日、がーどまんが浴槽に牛丼を詰めるドッキリで炎上しましたが、この動画に対して「食べ物を粗末にするな」などと批判する「無信仰」の人々に内在する神道的、仏教的価値観は容易に見い出しうるなどということは少し考えれば誰でもわかります。(誰でもとは言ってない)
「なめら会議4」における目的関数の議論も、何を目的関数と定めるかという点において、目的関数はイラーフ(崇拝される存在)となりうるはずです。(宗教的なものが目的関数データと完全に一致しないという点も大事)
ときに、今年は米大統領選がありますが、大統領でさえも「神に誓う」のがアメリカという国です。
そのような神の下での「自由の国」を標榜し、パクス・アメリカーナを謳っていられるのもあとどれ位でしょうか。
キャンパスに狙撃班、流石にヤバランチ!
とまあ、最近のドル円の乱高下で日本オワオワリ&アメリカ最強!言説が多々流れてくるので、適度にアメリカを貶しておきます。
Bitcoinの規制(笑)も大変ですね。Phoenixのような使い勝手のいいLightning WalletまでBANされる国、どう考えても自由の国ではない定期。
ここまでスマホで執筆してたのですが、なんかスマホが発熱してきたのでPCで執筆します。いやー、スマホもそろそろ変え時ですかね。円安つらいよ~~
Bitcoinについてもなんか書きますか。
そういえば、昨日も自由が丘ライトニングマルシェに少し寄って野菜を買いました。野菜(隠語)じゃないですよ。
菊芋と東京べか菜を買ったので、菊芋はオリーブオイルでフライドポテトに、べか菜は鶏むね肉と塩胡椒で炒めてビットコイン丼にしました。友達にビールを布施されたので、一緒にいただきました。パッケージのハートマークがかわいいですね。おいしかったです。また食べたいです。
Bitcoinといえば、OrdinalsをConceptual Artの枠組みで捉えるというぼくの提案を布教すべくpodcastを公開しているので、ぼくが突然死したら葬式で流してください。(遺言)
BitcoinにおけるOrdinalsに対する様々な意見や態度も結局Bitcoinのどういう部分を信仰している(受容している)かの違いだと言い換えることもできると思います。OrdinalsやRunesは、改めてBitcoinerが何を信仰しているのかを改めて問い直す現象でもありそういう点からも興味深いです。
神について語ろうと思い立ってnoteを書こうとしたものの、書き切れるものではありませんでしたね。
そういえば、ぼくのTwitter/Xのid「@ren_Nevermind」は「@rei_Nevermind」のパクリです。
結論
---黒宮れいは神---
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