#明日のたりないふたり

 仕事が佳境に入ると色々なことが手に付かなくなりがちです。
 加えて、気分が乗らないと、淡々と目の前に流れてきたことだけをやりがちです。先を見据えた努力は元来苦手だけれど、こんな時はいつもにも増して出来ない、そんな生活を日々送っています。
 だから週一で練習として書く予定のノートも一ヶ月空いてしまう。

 まあそんな事は置いておいて、先月末、オードリー若林さんと南海キャンディーズ山里さんのユニット、たりないふたりの解散ライブである「明日のたりないふたり」が無観客で行われましたね。
 そのことについて書こうと思いつつ、突っ込んだこと書くなら配信終了後だよな〜〜なんて考えていたら、大分時間が経っちゃっていました。
 もう熱くない話題ですが、だらっと日記代わりに書いていきます。

 もしもエゴサでこのnoteを山里さんが見つけたとしたら申し訳ないのですが、私は根っからのリトルトゥースであり、若様のフォロワーです。(見つけて読むわけがないとは思っていますが)でも、良かったら読んで欲しいです。
  内容については深くは書きませんので、内容が知りたい方はどこかで探してきてみてください。

 Creepy Nuts - たりないふたり

  お二人の漫才は「たりなくてよかった」と言う言葉で幕を閉じます。
 きっとその言葉に嘘はなく、「たりないふたり」を通じてお二人が辿り着いた答えです。
 でもこのお二人は、血の滲むような努力、果てしないトライアンドエラーの先の「たりないふたり」です。

 こんなの間違ってんだよタコ!と言われてしまうような内容でしたらごめんなさい。
 でも私には、「たりなくてよかった」と言うのは、ただ足りないことを肯定しているわけじゃなくて、血反吐吐いてもがいて苦しんで、でも昔自分が思っていた様な未来ではなくて、そんな自分に絶望してしまったけど、山ちゃん若ちゃんがそんな生き様を笑ってくれて、肯定してくれたからこそ、「たりなくてよかった」んだと言った、そんな風に見えました。

 ただ成功していく人を僻み、でも自分は別に失敗しているわけでも、何なら何か行動を起こしているわけでも、それどころか何かに成りたいわけでも成りたかったわけでもない人を無条件に肯定する「たりなくてよかった」では無い、です。

 成功が偉いわけでも、努力を続ける人が偉いわけでもないです。でも二人は、もがき苦しみ、こんな自分じゃねえよ、と思い続けている人の心をぶっ刺しに来ました。

 二人のもがき苦しんだ先で手に持っていたのは、竹槍と玩具のマシンガンです。あの二人が、です。
 正直絶望します。あんなにも人々を笑わせ、時には泣かせ、何万何十万何百万の人々の心の支えになっている、あの二人はそんな武器で戦っていたのかと。
 でも、20年間振りまわし続けたそれは、二人にとって最強の武器になっています。

 そんな山里さんの武器を、若林さんは一年半前の「さよならたりないふたり」では、捨てて次のステージに登らせようとしていました。
 でも誰が次のステージに行くために、その武器を捨てないといけないと言ったのですかね。捨てる必要なんてなくて、むしろ結婚や時代の移り変わりで、その武器は昔のそれとはもう別物になっているように感じます。
 それに、まだ地で僻み妬んでいるんですから、そんなの捨てられるわけがないです。
 山里さんはそんな手に馴染んだ武器を振り回しながら、「足りてねえ」と叫ぶ姿は、最早芸術的です。
 ちなみに週刊誌にたまに撮られているWAONさんとのデート写真は普通に仲睦まじすぎてムカつきました。ごめんなさい。

 若林さんも武道館で燃え尽きたり、孤独にバスケをやる人生から生涯の伴侶と出会ったり、細かく足りていない所から一見そんなことがない場所に進んでいる様に見えます。レギュラー本数も、帯やっている人を除いたら実質一位ですし。
 でも、そのステージで「こんなもんじゃねえだろ」って目をし続けているんです。そのステージではあくまでも初心者なんです。
 そんなの、たりているわけがない。当たり前です。
 でもそんな姿をカッコ良いと思ってしまった私は、立派な若様信者なんだと思います。若様結婚発表の瞬間、当時狙っていた人に連投LINEした挙句、次の日はじっとしていられずに、たりふたTシャツを着て、秩父の山中を車で走り回っていたわけですし。

 そんな二人の「たりなくてよかった」という言葉にぶっ刺され、ぶっ刺されたからには目指したいものがあるなら、やりたいことやっていかないとな、と思うわけです。
 あの二人のような高みには行けなくても、ちょっとでもよかったなあ、と自分で思える自分を目指していきます。

 またちょこちょこと書いてみるんで、覗いてもらえると嬉しいです。

 


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