社会活動家に求められる資質
① はじめに
まずは社会活動家の皆さん、いつも市民の代わりに声をあげて頂きありがとうございます。あなた達の立派な正義感によって救われた人は沢山いると思います。この場を借りて感謝の気持ちを示したいと思います。
さて、そもそも社会活動家とは一体なんなのでしょうか?どういう権限を持って勝手に市民の声を代弁しているのか、まずは単語の意味を調べてみます。
社会活動(しゃかいかつどう)とは、人間によって行われる活動の中でも、社会に参加して社会のために貢献をするようなもののことを言う。(出典:Wikipedia)
なるほど。社会活動家とは社会のために貢献をするようなものをする人を指すようです。
この定義だと、この世で仕事をしている人全員が社会活動家になりそうな気がするので、もう少し詳しく調べてみましょう。では、社会貢献とは何なのでしょうか?
社会貢献(しゃかいこうけん)とは、社会の利益に資する行いをすることをいう。
社会貢献とは、法人または団体、個人による公益、あるいは公共益に資する活動一般を意味し、はじめから社会に資することを目的として行う直接的な社会貢献と特定の事業や行為をすることが結果として社会貢献につながる間接的な社会貢献とがある。
何を以って社会に資するというか、具体的な事例にもより、明確な価値判断の基準、あるいは合意がないことも多く、しばしば、独善的な価値を含む場合もある。(出典:Wikipedia)
太字で強調しましたが、「独善的な価値を含む場合もある」と書かれています。なるほど。社会活動がだいぶ見えてきましたね。
独善的の意味も念のため調べておきましたが、これは完全にTwitterで見かける社会活動家に当てはまります。皆さんも心当たりしかないと思います。
これを最初の社会活動の定義に当てはめてみると、
社会活動とは、人間によって行われる活動の中でも、社会に参加して社会のために貢献をするようなもののことを言う。
↓
社会活動とは、人間によって行われる活動の中でも、他人のことはかまわず、自分だけが正しいと考えるさま。ひとりよがりであるさま。
とも言い換えることができます。掘り下げてみると、自称社会活動家達はちゃんと社会活動家だったみたいです。
② 社会活動家に求められる素質
今回は早くも本題に入りますが、その前にもう一つ社会貢献について補足をしておかないといけません。何事も論じるためにはエビデンスが大切です。
全てのエビデンスをWikipediaで示す事ができる「社会活動家」ってお手軽で素晴らしい題材ですね。
個人の社会貢献としては、代表的なものとしてボランティアがあり、企業・団体など法人などでは、慈善事業、フィランソロピー、メセナ、または営利活動を通しての結果的な社会問題の是正、あるいはボランティアへの援助、特定の慈善活動への人材資機材の供出、寄付などがある。(出典:Wikipedia)
個人の社会貢献として代表的なものはボランティアみたいです。よく「フェミニズム問題は儲からない」と嘆いている人を見かけますが、社会貢献とは主に無償ですることが一般的な考えみたいです。
そもそも、公益と私益を共存させるのは非常難しいことです。社会活動家で儲けようとして失敗している人達は、「公益vs私益」のロジックに陥っており、金を貰うことに対する合理的な理由づけが出来ずに、アルバイト生活から抜け出せずにいます。
そこで、非モテとTwitterフェミニズム研究を趣味でしている私から、社会活動家に求められる資質を発表して、より良い社会を実現するための建設的な提案をしようと思います。
1.社会活動家は金銭的にも時間的にも余裕のある成功者がするべきである
いきなりハードルが高くてごめんなさい。とりあえず現在フリーター(大して稼げない)をしている社会活動家さん達は即刻退場して下さい。
あえて叱咤激励をするために厳しいことを言いますが、自分の身の回りのことも満足に出来ない人間に社会を変えることは不可能です。
加えて、家賃が払えなかったり、その日食べる物に困ってるような人間が「この世の中を変えたい」と泣き喚いたところで、結局お金欲しさにやってるようにしか見えません。発言に説得力がないんですよ。
もっと厳しいことを言えば、自立してない人間(大して稼げない人)が社会に対して何かを訴えたところで、それは「クレーム」「ワガママ」「ゴネ得狙い」にしか見えません。
せっかくの正義感や行動力、勇気があっても、社会活動家ご自身の背景やパーソナリティによって全て潰されてしまいます。
社会活動家は、しばしば自身の過去発言がブーメランとなって刺さり悲しい悲鳴をあげていますが、私から言わせたら存在そのものがブーメランなんです。
まず、社会活動家になるためには、ご自身の人生を成功させてください。社会を変える前に自分の身の回りを整えてください。
自分が働かなくても、ある程度金を生み出せるシステムを構築させて、金銭的にも時間的にも余裕がある状況で社会活動をしましょう。
そもそも論ですが、自分自身に対して余裕のない人間が社会のことを考えられるわけがないんですよ。
例えるなら社会活動は食器みたいなものです。その日の食べる物に困っている人がティファニーのお皿なんか買いませんよね?生活の優先順位で言えば食器に金をかけるのは1番最後になります。高い食器類などは有り余った金で買うものだからです。
金銭的に余裕があり、時間的にも余裕があって暇で暇で仕方がない時に、人間の視野は広がるものなんです。貧乏暇なしという言葉を考えた人は天才ですね。
心を落ち着かせて、ゆったりと時間の流れを楽しみながらお茶をする。そんな時にふと「お洒落な食器だな...」と心が満たされるのです。
私のお気に入りのティファニーの食器の写真を置いておきます。友達がいなくて誰にも自慢できないのでここで自慢させて下さい。
ちょっと脱線しましたが、私が言いたいことは"フリーターで社会活動をするということは、飢え死にしそうなのにセレクトショップでお洒落な食器を買うくらい、非現実的で白々しい"ということなんです。
まずは、まともに働いて社会勉強をするか、経営者になって成功して時間的にも金銭的にも余裕のある状態を作り上げてから出直して下さい。
2.社会活動家はマナーやルールを守り、礼儀を持って人と接する事が出来る常識ある人間がするべきである
1.の成功者に関しては少しハードルが高かったかもしれません。即刻退場しろは言いすぎました。反省します。
金銭的・時間的余裕がなくても、心に余裕のある人間はいますし、主語でかく人を排除するのは良くなかったです。私もまだまだ人間として小さいですね。ごめんなさい。
心に余裕のない人間に、金銭的・時間的余裕がないケースが多かったとしても、金銭的・時間的余裕がない人間=心に余裕のない人間 とは断定できません。
むしろ、社会活動をする上での絶対に必要なもの、は今から説明する2.常識人の資質だと思います。
まず理解して欲しいのが、社会活動家だから偉いわけでもなければ、権力があるわけでもありません。
そもそも社会活動家とはあくまでも自称であり、何の資格も勉強も要りません。名乗った瞬間になれるわけです。つまり社会活動家も、我々一般市民も全く同じ立場であり、対等な関係であり、何一つ変わりはないのです。
政治家のように選挙で国民に選ばれたわけではありません。何か難関資格を取得して、権威や名誉があるわけでもありません。頼まれてもいないのに、ただ自分で勝手に名乗って、自分で勝手に行動しているだけです。これは最初に説明した独善的に結びつきます。
その大前提を理解した上で行動をしましょう。悪目立ちをしてちょっとフォロワーが多いからといって、偉くなったわけではありません。あくまでもあなたは何の資格も実績も持っていない、有象無象の一般人なんです。
社会活動家の中には「わきまえない」と名前の前につけて"あえて"を演出してる茶番演出家もいますが、「わきまえることができない」ことを正当化してはダメです。
物事にはどんなことにも「型」があります。車を運転する時にも教習所では正しい運転の仕方を学びますし、料理にしても、楽器にしても、ダンスにしても、スポーツにしても、勉強にしても、最初には基礎とされるものを学ぶ必要があります。
基礎もなしに適当に鍵盤を叩いても不協和音になるだけだし、もこみちみたいにオリーブオイルでパフォーマンスしてもカロリー過多で胃にもたれるし、ドリブルもできない人間がフェイントをしまくっても敵に奪われるだけです。
社会活動をしていくためには、まずは人間としての「型」、つまりマナーやルールや礼儀という基本的なものを学び、実践しないといけません。
それすら出来ない人間が、型を破って破天荒に「わきまえない」を実践しても、ただの異常者の危険人物である自己紹介にしかなりません。
そんな人間の掲げる社会活動になんて誰もついていきませんし、誰も金を払いません。
あなた達は「わきまえない」のではなく、ただの「恥知らず」なんです。
スポーツジムのインストラクターなのに弛んだ身体では説得力はありませんし、企業コンサルタントなのに社会人経験0では聞く気になりません。
先ほども言いましたが、何の資格も実績も持っていない、有象無象の一般人であるならば、ルールやマナーは最低限守ってください。それでこそ平等です。
3.社会活動家は個人の利益を追求しない人間がするべきである
この話は1.の成功者と繋がる部分もありますが、個人の利益を前面に出してしまったら社会活動家としては終わりなんです。
社会貢献をするのであれば、手っ取り早く慈善事業に寄付をすれば済む話です。それを社会活動家という個人に対してお金を求めるのであれば「金クレ」だけは絶対にしてはダメなんです。
人間だから誰だってお金は欲しいです。お金はあって困るものではありませんし、あるに越したことはありません。私だってお金は欲しいです。
しかし社会のため、つまり公益を求めるのであれば、私益は対極にあるものであり、どっちも手にすることは現実的に難しいものなんです。
稼ぐことが悪いのか!?という不満はわかりますが、稼ぐことが悪いのではなく「社会のため」と言いながら「自分のため」が前面に出てしまっているのが問題なんです。要するに下手くそなんです。
まずは、お金が欲しいことは全力で隠さないとダメです。お金は後からついてくるものなんです。本当に人から感謝されて、その人を応援したいと思ってもらえれば自然に支援をしてもらえるものなんです。
私もnoteに関しては一度も有料化した事ありませんが、定期的に無償で支援をしてくださる人達がいるおかげで、嫁(妻)に対して「金になってる」という言い訳をすることができて、noteにリソースを割く事が出来ています。
お金を欲しがること自体は決して悪いことではありませんが、「それじゃあいつまで経っても金は集まらないよ」って話なんですよ。それこそ社会活動という綺麗事で金を得るには、汚い部分は隠さないとダメです。
最悪な例としては、『クラブハウスで有名人相手にネットリンチしたよ!100円投げ銭してね!』みたいなやつです。誰がそんな夢も希望もない加害行為に金を払うんですか?笑えない冗談はやめてください。
本来、社会貢献というのは一番お金になるビジネスモデルです。みんな、夢や希望といったポジティブなものに金を払うんですよ。私だってそうです。てか誰だってそうです。
金は相手に与えるだけでなく、自分の気持ちを満たすことにも使えます。
「この人を応援したいな、この人を応援することで社会が良くなったらいいな、そうしたら自分の存在意義を再認識できるな」
そういった想いを乗せて、人は消費するんです。活動を維持したいのであれば、天狗にならず、ルールやマナーを守って、真面目に活動しましょう。
見てる人はちゃんと見てくれています。そういう真摯な姿勢があれば、必ずお金に繋がっていくのです。
③ 社会は社会活動家を求めているのか
ロジハラをし過ぎている気がしますが、私も社会活動家を応援したいので、心を鬼にして続けます。心が痛い人はここで読むのをやめてください。
そもそも社会活動家の皆さんは社会に必要とされている自信はありますか?本当は気づいているんじゃないですか?
断言しますが、社会は社会活動家を必要としていません。もちろん声を上げることは大切ですし、実際にネットの小さな声から一大ムーブメントとなり、社会のルールが変わった例もあります。
しかし、それが社会活動家によるものなのかどうかは、やはり根拠が乏しいです。
大企業側が「社会活動家の〇〇さんの影響により、会社の規定を変更します。」と公式に声明文を出した事例はありません。
結局のところ、社会活動家は何か変化があった時に後付けで「これは私のおかげ」と言い張ることしか出来ていないんです。
もはや雨乞いや神頼みと同じレベルなんです。後付けでこじつけて、それを実績にして越に浸っても無意味です。都市伝説はやめましょう。
社会活動家として実績を残していきたいのであれば、もっと賛同者を増やして、政治や経済に切り込んでいかないとダメです。
少数のイエスマンで周りを固めて、気に食わない意見は全て「嫌がらせ」として晒しあげ、争いや分断を煽るような行為は、社会活動家としては完全に逆行しています。
地道なプロモーション、広報・営業活動をして、下げたくない頭も下げながら、敵を作らずに仲間を増やし、性別関係なく対話を繰り返して、コミュニケーションを密に取っていくしかないんです。
自分のカリスマ性だけで引っ張っていけると思ったら大間違いなんですよ。社会活動を舐めんなと言いたいです。
物事には近道なんてありません。何かを極めたいなら、みんな下積みをして修行を積んで、壁にぶち当たって乗り越えてやっていってるんですよ。どんな職種だって。
社会活動家達はショートカットを求め過ぎています。そんな浅い、深みのない人間には誰もついて行きませんよ。いい加減目を覚ましてください。
「メンタル弱過ぎて匿名でしか偉そうなこと言えない奴がなんか言ってるのマジ草wwww」みたいな下品で汚い言葉で相手を煽っているうちは、絶対に成功する日は来ないんですよ。
④ まとめ
今回、厳しい言葉を言い過ぎてしまいすみませんでした。でも、好きだから変わって欲しいから強い言葉で伝えるってのが社会活動家の信念ですよね。
私もその信念を真似させて貰いました。ちょっとモラハラDV夫感がして個人的には自己嫌悪に陥りそうですが、社会活動家の皆さんがそれで幸せになるなら本望です。
では、最後に社会活動家に必要な資質をまとめます。
社会活動家は...
金銭的にも時間的にも余裕のある成功者で、マナーやルールを守り、礼儀を持って人と接する事ができる常識を持った、個人の利益を追求しない人間がするべきである。
これ、完璧だと思います。私もそういう人間を目指したいですね。
もちろん、そうでない人間でも、これを目指して努力すれば実現する事は可能だと思います。
この私のnoteを読んで、1人でも多くの社会活動家が、"あえて"わきまえない社会活動家になれることを心から祈っております。
社会活動家コンサルタント協会
会長 トゥーンベリ・ゴン
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