好きな人を神様にしたくない話

※「私には私の神様がいます!」という方たちへの反論ではけっっっっっっして無いです、わたしにもわたしの神様がいます。その神様はお酒が主食のハスキーボイスの男性ミュージシャンの形をしていて、いつだってわたしの神様です。わたしが死んでも唄っていて欲しい。

 最近何度も推し役者さんに落ち直して(惚れ直して)いるんだけど、今日も落ち直した。「えっあっ、あーーーー......」という感じで言葉が出なくなった。感極まると言葉を失うタイプのオで始まってクで終わる人種には解るだろ??伝わるだろ???

 その人は3歳から舞台に立っていて、大舞台も挫折もいっぱい、いっぱい人生の中にあったろうに、今なお自身に満足していない様子で、目線の高さはいつだって仲間と一緒。観客に対してはすっと膝を曲げて、ありがとうございますと丁寧にお礼を述べてくれる。

 好きだ好きだと今も十分言って回っているんだけども、ふとした時に急に言葉が出なくなる。好きと言い続けるのが怖くなる。このまま言い続けていたら、きっと私は彼の人を、神格化してしまうだろうなと思って。

 神様の定義なんて地球の人口くらいあるだろうからこれはわたしの話になるけれども、要素として1つ、”触れられない遠いもの”という感覚がある。畏れ多くて近づけないもの、近づこうと思えないもの。でもしんどい時に確実に心の軸になってくれるもの。

 わたしはその役者さんのことが好きで、人としてずっと尊敬していたいから、神様にはしたくないんだ。目指す人でありたい、近づける人でありたい、恐れずに手を伸ばし続ける対象として追っていたいなと思う。

 めちゃくちゃ遥か遠くにいる人だけれども、遠くにはいるけど、高いところには居ないと思っているから。見下ろしたり見下したりは、しない人だと(勝手に)思っているから。その人が好きだ!って言いながら、わたしはわたしの人生を強く踏みしめていけたらいいなと思う。いつかの折に、ふっと少しだけ斜め前に視線を向けた時に、その人がかつてより近く見えたらいいなぁと思う。

 長い長い独り言。読んでくださった人がいたら、ありがとう。