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雨が止みますように

まだギリギリ眠っていません。よって今は6月17日です。さて、そろそろいい加減配信をしたいと思っています。ですがこれだけ長い間お休みしたうえ、現状まともな生活もままならない中で、どんな顔をして何を話せば良いのか分からないというのが正直なところです。そもそも何も活動出来ていないのに、久しぶりにツイートを再開した途端いいねやらリプライやらをくれる方々、本当に凄いですね。もうとっくに存在ごと忘れられていても仕方ないと言うか、その方がむしろ自然だとまで思うのですが。何度でも言いますがあなた達一人ひとりのおかげで私はまだ生きています。どうもありがとう。もう少し心が落ち着いたら、ぜひ楽しいお話をしましょうね。

元々青年期の頃から自分が人間として大きな欠陥を抱えていることは自覚していたが、大人というものになっていよいよその欠陥自体に真剣に向き合わないといけないな、と強く感じている。まず精神的にも健康的にも非常に不安定で、まともな仕事が出来ない。注意力も集中力も散漫で、その癖自我が強く、自身が納得して情熱を向けられることでないと人並みに取り組むことすら出来ない。その他にも精神面に決定的な欠陥を数多く抱えており、決まり文句として定型化された『社会不適合者』という言葉では足りない程には、本当の意味で社会不適合なのだと思う。ただ昔と今で心情として違う部分としては別に『死にたい』とは思っていない所だ。昔は隙あらば『死にたい』と考えていたが、今はどちらかと言うと『生きたい』というエネルギーの方が自身の中で大きい気がしており、これは自分としてはかなり驚きである。しかし昔からの『死にたい』という意識から来る自暴自棄的な行動パターンの癖がなかなか抜けず、そのツケが回って来た結果『生きたいが生きられる方法が無くなりつつある』という、ともすれば、いや余裕でより最悪な状況に追い込まれているのが現状である。完全に自業自得なのだが。『生きたい』と願うには遅過ぎたのだろうか。それともまだ間に合うだろうか。やって見なければ分からないね。もしこの文章を読んでいる方が居たら、なんてネガティヴな文章なんだと感じる方も居るかもしれないが、それは違う。もし全てを諦めていたらわざわざこんな感情を言語化したりはしないのだ。私はこの文章がいつの日か笑い話になることを願っている。

雨が降っている。明日は1日中雨なのだろうか。出来れば止んで欲しいな、と考え、雨が止んで欲しいなどと考える自分が珍しく、少しおかしくも感じた。きっとこれは良いこと。ここで25分が経ったので日記を終わりとする。頑張ろうね。

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