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自分を表すキーワード

小さい時から「一芸」のスペシャリストに憧れていた。一つのことを貫き通す姿勢が尊いと思っていた。他のことには目もくれず、「一芸」に秀でたスペシャルな天才がかっこいい、と思っていた。そういう人はたとえ他のことが劣っていても誰もかなわない部分があるから、劣っている部分も愛嬌になってしまう。伝記好きだった私は、そんな歴代の偉人たちを愛おしいと思い、心底憧れていたのだ。

幼少期から私は絵が得意だったので、絵を「一芸」にするべく他のことが出来ない人間として愛嬌ある個性をもって育つはずだった…が、残念ながら勉強も意外とできてしまった。また、語彙も豊富で意見を述べることを恐れないので、よくクラスメイトの誤答や言い間違い、勘違いを指摘し、あれよあれよという間に愛嬌とは正反対のかわいげのない子の道を突き進むことになる。

悲惨だったのは劣っていたのがコミュニケーション能力と運動全般だったことで、かわいげのない口の立つ行動できない陰キャとして確立してしまった。私は「一芸」を目指していたのに。これではまるでプライドの高いガリ勉芸術家気取りではないか。案の定、上靴には画鋲が入っていたし、モノは隠されたし体操着は袋から出され床に落ちていた。

私は焦った。これはちょっと想定外だ。どうこの状況から脱していいかがわからない。とりあえず来客用スリッパをはき、隠されたモノは「忘れてきました」と先生に申告し、体操着は汚れていたので常服のまま体育の授業を受けた。この対応はただ単に「メンタル図太い」個性を作り出し、愛嬌からは更に遠ざかってしまうことになる。

この状況が緩和されたのは父の仕事の都合で小学校3年生の時に引っ越してからで、取り囲む人間関係が刷新されたことで違うステージでゲームプレイを開始することが出来た。
とりあえず図工の時間のお絵描きで「一芸」を披露。一芸ポジションを確立させた。引っ越してきた先の小学校は緩い雰囲気で、勉強が出来ようが出来まいがあまり個人の評価の参考にしない雰囲気があって気が楽だった。運動もしかり。そこまでストイックに取り組む人はいなかった。

よしよし、なかなか良い滑り出しだ。お絵描き一芸で生きていこう。でも程よく苦手だった運動とコミュニケーションを克服するためにサッカーチームに入ってそれなりに人付き合いや毎日身体を動かす経験もした。
よしよし、なかなかほど良い。

中学校進学前、同じクラスに6年間同じ筆入れを使い続けている男子がいた。素晴らしい、と心底敬服するとともに自分のふがいなさを認識させられた。

小学校入学の時に買ってもらった四角い両開きの「筆入れ」をすごく気に入って買ってもらった割には、夏休み前には飽きてしまって違う筆入れを欲しがる自分に「なんて私は飽きっぽくてダメなやつなんだ」とくよくよした。

ふと、私が憧れ、恋がれていた「一芸」ってこれなんじゃないか、と思いあたる。好奇心旺盛で、色々なことに手を出し成果が出る前に既に次のことに関心が移ってしまう私とは違い、特に関心を払わず、気にせず、あるものをそのまま受け入れて不都合が無い限り毎日淡々とルーティンを繰り返す姿勢。

「一芸」は天から与えられた才能や目標に向かって取り組む努力とは違い、その人なりに淡々と暮らしてきた「結果」なのではないか。

そう考えると、私の一芸は様々なことに興味を持って取り組む「多芸性」ではなかろうか、と人生折り返し地点を過ぎた頃であろう今思うのである。

私が欲しかった「愛嬌」も、実はできることを担保に「許してもらいたい」という願望であり、一芸に付随する人間性とはちょっと違っていたな、と今更気づくのである。

というわけで、今までの私の人生の現段階の進捗結果を分析するに、私は何にでも首を突っ込んである程度までの形にはするけどけしてスペシャリストではない多芸の人間であり、その何がしたいのか分からない様を許して欲しい願望があり、毎日淡々と日々を積み重ねている人々に嫉妬に似た憧れを抱いて自分を卑下してしまう面倒臭いやつであることがわかった。

こんな私に辛抱強く語りかけ、都度都度、お互いのタイミングで伴走し、気付きをもたらしてくれる現在の友人知人、親族には感謝してもしきれない。

結果を出さなきゃ、と便秘がちな自分に焦っていたけど、実はもう色々漏れ出ていて、意外と溜まってないのかもしれない。

(キレイにまとまらないな。なぜだ)

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