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2020年 15回忌 早雪忌に寄せて

自分が主導して組織し、活動した運動(それが仮に「新右翼」と呼ばれようが)の成果が出ず、責任を取って腹を切って自裁した人がある。
またある人は、靖國神社に関係する団体の事務局長だったが、平成の天皇陛下(現在の上皇陛下)の靖國参拝が平成の30年をもってしても叶わず、それに責任を感じて腹を切り、自裁した。
その人らを世人は知らず、以て「狂気の沙汰」と言うのかも知れない。
三島由紀夫・森田必勝も同様に、当時の政権からは「狂気の沙汰」「迷惑だ」と言われた。
三島・森田烈士の義挙から50年も経つのに、それも素知らぬ顔でいられる日本人が大多数なのだから、私は憤りを感じざるを得ない。
いわんや、名もなき草莽の自刃も知られず、知ったとて何もならない・・・。

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まぁ、いい。
太宰治の入水を「狂人の自殺願望の果て」と断じ、三島由紀夫の自刃を「破滅の美学」と言うのは簡単だ。では、太宰や三島を死に追いやったのは、一体誰だ?
それは、愚昧なる民衆!だろう?

現代に生きる私も愚昧なる民衆の一人だ。
でも、私は考える。
名もなき草莽は、誰にも知られず、一顧だにされず、無念の涙を呑むしかないのか?と。
私は、その草莽にすらなれない自分に腹が立って仕方がない。

私はクリエーターではなく栗イーターですが、サポートをいただければ書籍代や保守系勉強会(セミナー)の参加費に充て、さらに勉強して得られた知見を記事としてフィードバックします。