「気持ちから始める」

 今回書くのは『心の研究』を読んで下さった方には、繰り返しになるようなところもありますが、ただ違った視点からも考えていて、違った言葉でも書いています。三つくらいに分けて書いていますが、一つ目は難しく、二つ目から読んで頂いてもいいかもしれないです。心の気分や感情と言ったものがどのように生成していったのかを書いています。

 宇宙の始まる前には揺らぎがあった。その揺らぎとは気分的なものである。空の天気を気分のようだと比喩的に語られる。空は天であり、天は宇宙にもある。宇宙には元々、気分があった。というより、宇宙が始まる前から気分があった。
 その気分には喜怒哀楽・愛憎が潜在的にある。揺らぎを超えたもの、そして揺らぎに内在するものとして、喜びがある。この喜びとは光だ。しかし、光と闇という対比における光ではない。透明な光だ。イメージとしては光が放たれれば、それは発散的になるが、その発散が極まったところに、透明な形而上的なものがある。この喜びはフラットなものである。
 西田幾多郎の用語を使えば絶対無がこれに当たる。しかし絶対無は気持ちではない。私としては気持ちから全てを始めたい。この喜びは普通の喜びとは違う。喜びとして、漫画で使われる表現が、パーッと顔が明るくなることを表すために、顔から発散するような線をを描くことがある。この発散される光が喜びにとっては重要だ。
 通常、発散というと何かから発散されるため、それは何かのエネルギーの動きになる。しかし、偏在する喜び、この喜びは偏在という形で、すでに発散されている。運動ではない。現象でもない。しかし、それにしても気分というものが、――健康的ならば――、普段はフラットなものであるのは、この偏在する喜びが地になっているからだ。
 恒常的にフラットになるためには、常に発散されていなければならない。この喜びは天気が気分であるなら、その舞台となる空のことだ。どんな気分になっても、空は依然として揺るがない。
 この喜びは落ち着いた存在である。この喜びに近付いた時に幸福がある。元よりこの喜びと幸福は一つだが、幸福を改めて感じる時は、この喜びに近付いた時になる。言ってしまえばこの喜びは気分とは言えない。気分は宇宙の始まる前のように、どんなにエネルギーを抜き切っても揺らぎがあるから。
 この喜びは宗教的な悟りの境地にあると言っていい。悟ることを志向するのは、そこに喜びがあるからである。高揚するのではなく、透き通った時にこの喜びがある。私たちが何もしなくても心が平然としているのは、この透き通った気持ちがあるからである。


 さて、それにしても気分は揺らぐ。揺らぎもまた始まりも終わりも持たない。悟りはしても、永遠に煩悩もある。
 宇宙の始まる前の揺らぎを ~ ←このようにして表す。ここからどのように喜怒哀楽・愛憎が生まれるのか。まず背景や地である空、天が透き通る気持ちであるが、透き通る気持ちが揺らげば、一方は高揚する喜びとなり、一方は落ち込んだ哀しみとなる。揺らぎは一方は上がって、一方は下がる形式を持つ。そして喜びと哀しみが分かれたなら、そこに喜びに対して好きである気持ち、もっと深くなれば愛が、哀しみに対して嫌悪する気持ちが生まれる。また、揺らぎが出来たなら、そこには不安が生まれる。不安はイライラになり、イライラは怒りになる。怒りはいずれ何かの起こりになり、それは衝撃を与える。それは驚きを生む。驚きの張り詰めた気持ちは、それが解ければ楽な気持ちを生む。
 こうして宇宙の始まる前の揺らぎは、気分の形式を全て潜在的に持っていて、したがってそれは天の時代から有ったのであり、長い長い歴史を経ても続き、地球の空までその揺らぎの形式を、気分の形式を持続させ、今日の私たちの気分に至ったのだ。

 ここから気持ちの形態が変化することで知性が生まれる。直観として印象を受けたり、雰囲気を察する。印象とは驚きの形態の変化である。雰囲気とは不安というモヤモヤしたものの形態の変化である。そしてそれを言語化したり、観念化したりする。言語、言葉とは食べ物であり、呑み込むものである。哀しみは呑み込むことで、溜まり溢れる。哀しみとは抑圧が原因となっている。空がたくさんのみ込めば、雲を溜め、雨雲となり、溢れれば雨となる。雨は哀しみに喩えられる。
 観念は光に照らされるものである。私たちは直観に受けたものを、明るみに出すことで観念化する。つまり観念は空にある光、太陽がその元型である。明るくなる気持ちを喜びと呼ぶ。空が晴れる、その喜びという気持ちは、私たちの知性において観念に形態変化する。
 空の風は運ぶ役割を持つ。気持ちを運ぶのは愛憎である。どこかへ惹かれ、どこかへ向かう。何かへむかつき、反発する。それは知性においては情報が対応する。直観において把握する前、情報が引力を持っている。私たちが意図せずとも何かを運んでくる。私たちは風に煽られてどこかへ行く。私たちは愛憎に意図せずとも振り回される。

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