カバラ「弁証法的に発展するセフィロトツリー」

或る人達に向けて書いたのですが、重要だと思ったので載せます。

前に弁証法的にカバラのセフィロトが成り立っている、と言ったことなんですが、少し書いてみます。実は井筒の『意識と本質』のp.261から読めば明らかなんですが、それを参照しながら。

第一の「ケテル」意味は「王冠」存在流出の究極的始原で、絶対無や意識のゼロポイントのようなところ。

そこから第二の「ホクマー」「叡智」

第三の「ビーナー」「分別知」

と分節するらしく、もうここで叡智的なものと、分別知で対立するものに分節しているように思います。

ちなみに「ホクマー」は父のイマージュであり、「ビーナー」は母のイマージュだと井筒は述べていました。

叡智的なものはこの世界を支配するような、権威的な在り方をし、一方、分別知は事物を多様に生む女性的な働きをしているからだと思います。

そこから第四の「ヘセド」意味は「慈悲」が、「ホクマー」という父と、「ビーナー」という母から生まれ、共時的に第五の「ゲヴーラー」意味は「厳正」が生まれるのですが、ここでも「慈悲」と「厳正」という、矛盾対立的なものが生起しているように思います。

この「慈悲」はコルバンの言う「慈悲」と非常に似ていて、存在肯定の意味合いがあり、逆に「厳正」は存在否定の意味合いがあると、井筒は述べていました。

「慈悲」は女性的で、「厳正」は男性的だと思います。

それで第六が「ティファレト」で「美」を意味し、セフィロトでは真ん中らへんにあり、色々なセフィラから「ティファレト」に小径が伸びています。男性と女性が弁証法的に働き、止揚したところに「ティファレト」「美」があると考えられます。

対立を調和するところで、いわば無分節だった「ケテル」「王冠」が、一旦分別し、もう一度統一するところとして、「ティファレト」「美」を考えることが出来ると思います。

そこから「ネーツァハ」「勝利」、「ホード」「栄光」とまた分節するらしいです。

この二つの対立は正直よく分からないのですが、「ネーツァハ」「勝利」には「持続」のような意味もあるらしく、「ホード」「栄光」には「謙虚」「名誉」などの意味もあるらしいです。

存在が勝利し自己同一的に保たれるか、存在が謙虚に変化していくか、井筒の記述を読むとそのように解釈も出来ます。

そして、享顕さん仰るように、各上位のセフィラに折り畳まれるように、下位のセフィラの意味が内包されています。

叡智と分別知には、存在を赦す慈悲と、存在を限定する厳正が、それと重なるように、慈悲という肯定の連続として勝利が、厳正において、謙虚が、というように。

なので、一つの弁証法に重重無尽に他の弁証法が乗っかている、というように私は思いました。

書いていて思ったのですが、カバラの絶対者における分節はシンプルですよね。元型は10個のセフィラ。スーフィズムの神名は100個ですよね。

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