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3月の雨が嫌い

私は3月に降る雨が嫌いだ
なぜなら大切なものを失ったから

ちょうど1年前、競馬界ではストライキの話題で持ちきりだった。
競馬の開催自体が危ぶまれる非常事態。
色々あった末にストライキは決行されたが関係者が協力しあった結果、なんとか競馬は開催された。
そんな混乱の中、一頭の馬が勝ち上がりを賭けて出走した。

私がその馬を知ったのは2021年の夏。
シルクホースクラブのカタログに載っていた馬の名前はカレドニアレディの20といった。
父キタサンブラックの2代目産駒で母はイギリスで3勝し重賞でも好成績を残していた。
父に似た黒い馬体の牝馬は筋肉のつきは物足りないものの、しっかりとしたフレームから中距離での活躍を想起させた。

その年のノーザン系といわれるクラブの募集には1つの改革があった。
レポジトリーの公開である。
募集馬達の術歴を見ることができ、クラブ会員達は安心して出資が出来る素晴らしい試みだ。
その中でもカレドニアレディの20の術歴は際立っていた。
出生の際、肋骨を骨折し開腹手術を行なっていたのだ。

"腹を割いた馬は走らない"

この言葉を聞いたことがある競馬ファンは多いだろう。
これにより募集時のカレドニアレディの20はまったく人気がなかった。
しかし私の心の琴線には触れていた。
生まれつきハンディキャップを抱えた馬が父キタサンブラックのような勝負根性を見せて走る。
馬鹿らしいと笑われるかもしれないが、そんな漫画のようなストーリーを勝手に想像していた。
私は迷わずカレドニアレディの20への出資を決めた。
勝てる勝てないという出資基準を無視して出資したのは初めてであり、ただ純粋に応援したいという気持ちだった。

カレドニアレディの20は早い時期にイヤリングからノーザンファーム早来へ移動し、競走馬としての初期トレーニングを始める。
同世代の術歴の無い馬と比べてもすこぶる順調であった。
そのうち彼女には素敵な名前がついた。

"セントマーガレット"

母名にあるカレドニアは現在のスコットランドにあたる。
そのスコットランドの王女マーガレット妃が馬名の由来である。
マーガレット妃はその生涯を病気やケガを負った方々の支援に尽力され、没後にローマ教皇によって聖人に列せられた偉大な方だそうだ。
本馬にとって最も相応しい名前を付けていただいたのではないか。

やがてセントマーガレットは2歳になり本格的なトレーニングを開始。
やや奥手の血統ゆえ馬体に緩さを残しながらも、駆け上がる坂路タイムは同世代の中でも平均的な位置付けにあった。
2歳の6月には金成厩舎へ入厩しゲート試験に合格。
放牧先のノーザンファーム天栄で軽い頓挫があったものの、8月末には帰厩しデビューに向けて最終調整を行っていた。
外厩では坂路中心のトレーニングだったが、トレセンではWコースで追いきることが多かった。
Wコースは坂路に比べて体力を要するため、2歳馬では実力差がはっきりと出やすい。
そんなWコースでセントマーガレットがマークしたタイムは何れも良いものとは言い難いものだった。
そのことからも出資者たちは彼女が新馬戦から勝ち負けをすることは難しいと分かっていたと思う。

彼女がデビューしたのは2022年10月9日。
秋開催開幕週の東京競馬場で行われる新馬戦芝1800m。
例年素質馬が揃うといわれる一戦に松山騎手とともに向かう。
さすがに秋競馬開幕週の新馬戦は荷が重いのではと思ったが、そもそも当方勝ち負けを期待して出資していない。
そんな素質馬たちに対してどれだけ食らいついていけるかを楽しみにして東京競馬場へ向かった。

その日の天気は小雨が降っており、午後に向けて雨量が少しずつ増えていった。
パドックのセントマーガレットは優しい顔つきで落ち着いて周回していた。
ともすれば気合が足りないようにも見える。

レースは勝ち馬から2秒離された7着。
勝ち馬はミッキーカプチーノ。
その後、葉牡丹賞を連勝しホープフルステークスに出走している。
2着のフリームファクシはきさらぎ賞を勝ち、3着のグリューネグリーンも京都2歳Sを勝利。
4~6着馬も全頭勝ち上がり、うち2頭は複数勝利をあげている。
このことから新馬戦のレベルはかなり高いものであったのは間違いないが、セントマーガレットと6着馬との間には5馬身の差。
上位馬との実力差ははっきりとしていた。

2戦目は翌年1月7日の中山ダート1800mに出走。
初戦でキレる脚を使えなかったことからダート挑戦となった。
パドックではシルクの米本代表と少しだけお話しさせていただいた。
メンバーにも恵まれ、ダート適性さえあれば十分チャンスがあるという認識が一致していた。
しかし結果は13着。
ダート適性は全く無かったようだった。

そして遂に三戦目の3月18日を迎える。
条件は中山芝2200mで鞍上は武藤騎手。
冒頭に記した通り、ストライキが決行される影響でセントマーガレットは出走出来るのかも分からない状況であった。
調教についてもレースに出走可否が分からないまま仕上げをしなければならず、金成調教師も苦慮したことだろう。
この日はあいにく雨が降っており、馬場も重発表。
前走はダート適性が問われたが、今回は重馬場適性が問われる一戦となった。

パドックでセントマーガレットは相変わらず大人しい姿を見せていた。
いつも出資馬のパドック撮影はサッと撮って撮影ポイントに戻るのだが、この日は雨ということもあり競馬場はガラガラ。
ゆっくり撮影しても最前列は空いている状況だったこともあり、セントマーガレットをちゃんと見ようといろいろな所に目を配らせてみた。
するとセントマーガレットの尾にマーガレットの飾りがつけられていることに気づく。
ここ最近、出資馬をしっかり見ていなかったことを反省した。

返し馬では観客側を見ながら軽快に私の前を走っていく。
偶然、私に目線をくれたような写真が撮れた。
これは今でも最も大切にしている写真である。

撮影ポイントをウィナーズサークルに決め最前列で撮影をすることに。
スタートで後手を踏んだセントマーガレットは後方からの競馬になった。
目の前を必死に走るセントマーガレットをしっかり撮影、1コーナーを回っていくところを見送る。

そこからは場内の大型ビジョンで愛馬の走る姿を見守っていく。
だが雨が降っているうえにゴール板がかぶってしまい大型ビジョンが見えづらく、セントマーガレットがどこを走っているのか確認することが出来なかった。
そうこうしているうちに集団は4コーナーを回ってきてしまう。
少し焦りながら早めにカメラを構え、ゴールに向かって走る先行集団からシルクの勝負服を目印にセントマーガレットを探していく。
しかし、見当たらない。
それでも各馬は次々とゴールに迫ってくる。
私の焦りもどんどん強くなっていく。
すでに先頭の馬たちは坂を上り終えていて、間もなくゴールしようとしている。
そんな時、ファインダーにシルクの勝負服を捕えた。
慌ててピントを合わせてシャッターを切ろうとした瞬間、それがセントマーガレットではない別のシルク所属馬であることに毛色で気づく。
そこで私の心は折れてしまった。
セントマーガレットの撮影を諦めてしまったのだ。
もはやそこからの記憶はほとんどない。
なだれ込んでゴールする各馬を呆然と見送っていたような気がする。
セントマーガレットの走る姿を応援したいと出資したのにも関わらず、レース中に見失うという大失態。
-もっと実況をちゃんと聞いていれば良かった
-他の探し方はなかったのか
強烈な後悔とセントマーガレットへの申し訳ない気持ちに襲われた。
せめて引き上げてくる姿だけでも撮らなければと気持ちを切り替えようとしていた矢先、実況アナウンサーの一言に戦慄が走る。

「セントマーガレット競争中止」

その一言は動揺していた私の心をさらに揺さぶってきた。
どうやら2コーナー付近で競争中止していたようで、目をやると馬運車が向かっているのが見て取れる。
しかし最前列では植え込みが邪魔でどういう状況か視認することはできない。
思い返せば後方のスタンドに上がって見ればよいのだが、その時の私はそこまで頭が回らないほど動揺していたのだろう。
しばらくすると馬運車が1コーナー奥に戻っていく。
セントマーガレットは自分で馬運車に乗ったのだろうか。
彼女がどの程度のケガだったのか分からないまま、競馬場の空気は次のレースへと進んでいった。
私だけ時間が止まっているかのようで孤独を感じていた。

当時のシルクではレース後のレポートが翌週の月曜に更新されていたため、あと2日たたないと状況が分からないのが通例であった。
もちろん臨時更新される可能性はあったものの、必ずあるというものでもないため、ずっとスマホをチェックし続けるくらい気になっていた。
もう今日は帰ろうと決意し、帰り支度をして家路についた。
電車の中でも常に更新を待ち続けていると、臨時更新が入る。

骨盤上部の複雑骨折により安楽死処置

今となってはそこから家に帰るまでの記憶はあまりない。
家に着いたら風呂に入り、機材を防湿ケースに投げ込みそのまま寝てしまったことは覚えている。

翌日、別の出資馬が中山で出走するため早朝に家を出て中山に向かった。
途中で仏花の購入とセントマーガレットの写真をコンビニプリントして中山競馬場へ到着。
開門してすぐ仏花と写真を持って馬頭観音へと向かった。
セントマーガレットとお別れをし、当日出走する別の出資馬の無事を見守ってくれるようお願いした。
シルクの米本代表も競馬場到着後に馬頭観音で手を合わせたことを本人から教えていただいた。
それ以降は競馬場にいるだけで辛い思いが溢れてきてしまい、早く競馬場を出たいという気持ちが続いていたが、カメラ仲間達から優しい言葉をかけてもらえたことでなんとか出資馬のレースまで競馬場にいることが出来た。
本当にありがたかった。
残念ながら出資馬は1番人気ながら14着に負けたが、怪我をすることなく帰ってきた姿を見て心からホッとした。
すぐに馬頭観音に向い、セントマーガレットにお礼を告げ競馬場を後にした。

その後はしばらく競馬場に行けなかった。
しかし出資馬の応援だけは行かなければセントマーガレットに顔向けできないと思い、気持ちを奮い立たせて徐々に競馬場へ足を運べるようになっていった。

あれから1年、今ではほとんど嫌な気持ちが蘇ってくることはない。
ただ雨が降る中山にいるとどうしてもある思いが湧き上がってきてしまう。
でもそれは嫌なものではない。
目の前にいるサラブレッド達が無事に走りきれることを願う気持ちが蘇ってくるのだ。

もうすぐ3/18。
セントマーガレットの命日だ。
今年の3/18は月曜なので開催はないが、3/17日曜に私の出資馬が走る。
セントマーガレットが亡くなった翌日に走ったあの馬である。
その馬は昨夏、ノーザンファーム天栄で熱中症になり今回が長期休養明け初戦。
熱中症で亡くなった菊花賞馬と同厩でもある。
私にとって大きな意味を持つレースとなりそうだ。

是非とも晴れやかな天気のもと完走してほしい。
そう願ってやまない。

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