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自己紹介を兼ねて、これまでの人生を振り返る

私、今年の10月で40歳になるので、簡単に自己紹介を兼ねて人生を振り返る事にする。

1983年の10月に、2人兄弟の長男として生まれる。大阪育ち。

丈夫な心身ではなかったため、現在の身からすれば驚かれるところ。

子どもの頃は、安らぎの場所といえば、母方の祖父が営んでいた鉄工所やった。伯父(母の次兄)に相手してもらい、時には、トラックに乗せられ、取引先まで連れてってもらった事もあった。

しかし、集団生活には難があった。集団になじめないという問題を、抱えていた。

幼稚園でも、他の子との関わり方が分からず、突拍子もない行動を取る事が多々あった。

あまりの状態に、母親は「育てにくい」と感じるようになり、児童相談所に連れていかれる事があった。当時、大阪市には児童相談所が喜連(きれ)西の1か所しかなく、地下鉄谷町線に乗って、喜連瓜破(きれうりわり)駅まで行っていた。

何とかして、この時代を終えたわけだが、小学校に入ってから、集団になじめない事でストレスが溜まり、結果、体調を崩す機会が多くなってしまった。

止めを刺したのは、小4の時。

当時の担任教師から、毎週の如く怒鳴られまくり、心身のバランスを崩した末に体調を崩し、入院生活を送ってしまった。当時の担任教師はというと、古い考えの持ち主で、PTAから問題視されていた人間やった。「児童のあら探し」みたいな事もやるし、気分屋やし、とにかく、合わなかった。

幸い、小5の春に人事異動で離れたんやけど、トラウマとして残ってしもた。

その後、小学校卒業し中学校に入ったが、隣の小学校を卒業した奴にろくでもない奴が多かった事もあり、集団になじめない事はあまり問題にならんかった。

むしろ、成績を残せば問題なかったからやった。

問題は、高校に進学してからやった。

高校では、「集団生活ができて当たり前」と見なされる。集団になじめない人間にとって、地獄の何物でもなかった。

さらに、担任教師とも合わず、ストレスに感じていた。それも3年間同じ担任教師やったから、余計やった。

卒業危機もあったんやけど、卒業した。

その後、大学に入った。大学に入ったら、集団になじめない事でストレスとして感じなくなるし、個人的には楽にはなった。

4年きっちり通って、その後、大学院まで進んで、現在の流れに来てる。

簡単に書くと、こんなとこ。

また、人物に関しては詳しく書きます。

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