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魅力がある人、役に立つ人

「魅力がある人」と「役に立つ人」は違います。役に立っていけば魅力が増していくと思われるかもしれませんが、役に立つを極めても魅力は手に入りません。役に立つをを極めて手に入るのは「便利な人」です。役に立つと魅力があるは努力の方向と才能の源泉が違います。

「社会で生きていくために必要な能力を身につけ、多様な友人とコミュニケーションを取れる人になって欲しい」という教育の方向は、突き詰めれば社会の役にたつ人間になって欲しいに行き着きます。社会はこう変わるだろう。だからこんな人材が必要とされる。であれば、必要なスキルはこれだ。という風にです。社会の足りないものを埋めることができる人は役にたつ人です。

役に立つための努力の方向は、困りごとの解決であり、便利の提供です。このどちらも機能がなければなりません。本が入らない本棚は役に立ちません。本が過不足なく収容できて初めて役に立ちます。本を収納するのに十分な大きさと強度とバランスを持っていなければなりません。役に立つ人材とはそのような役割を担える人になるということです。

役に立つための努力の方向は、どうしても社会がそして相手が何を望んでいるかに行きつかざるを得ません。望まれてないものを提供しても役には立たないからです。さて、もう一方の魅力があるとはどういうことでしょうか。

魅力とは、何かの不便を満たすものではありません。機能でもなく、役に立っているわけでもありません。役に立つは機能ですからある程度の限界がありますが、魅力には際限がありません。面白いもので、魅力的であるということは好きであると同じことではありません。好きも嫌いも包括した「目が離せない」ということが魅力的であるということです。魅力には理屈もありません。ただそれが誰かにとって魅力的なのです。

考えてみれば、人生において重要な選択である伴侶選びをする際に、あなたは役に立つというからという理由は仮に思っていても言いません。私はあなたに魅了されていて、一緒にいたいと思っていると伝えるのが一般的です。魅力は説明できないが、できないが故に魅力を感じていると言われた時抗い難い喜びを覚えます。役に立つことは比較可能なので、もっと役にたつものとの競争に常にさらされますが、魅力には比較がありません。ですから愛の告白にはいつも私があなたに魅了されているという言葉が含まれます。

社会において「魅力を磨く努力」は、「役に立つ努力」とは方向が違います。一般的に言われる魅力を磨く努力は、入り口としては機嫌を良くすることだと思います。しかし、本当の魅力を追求するには、自分と向き合い自分は何者かをよく知ることが重要なのではないかと思います。本質的な魅力は努力では獲得できず、すでにあるものを発見しそれをいかにして表現するかだからです。

役に立つを極めることは能力を磨くことですが、魅力があるを極めるには他ならない自分を磨くことです。その自分を発見し磨く際にそれを阻害するのが、こうでなければならないという価値観です。魅力的な人に無邪気な人が多いのは、自分を押し込めないからです。

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