人的魅力と社会改革と孤立と依存

多様な友人を持つことが自分のバランスを保つ上で重要だけれども、ここに厳しい現実がある。人は一緒にいて楽しい、ドライに言えばメリットがある人と友人関係を築くが、友人でいたいと思わせられるだけの人的魅力がなければ、友人関係はどうしても少なくなり、少ないということは偏りがちになる。

人が人を説得したり、納得させるときにも人的魅力は大きな影響を及ぼす。端的に言えばまず人はその人を好きになりそして話を聞く。あいつは嫌いだけれど言っていることは正しいという状態は、相当に訓練された人の中ではありえても、かなり厳しいのはどぶ板選挙が証明している。

つまり、社会問題を解決するにせよ、自分のバランスを保つにせよ、一番大事なのはあなた自身が魅力的でいることですよという結論になるが、これは個人にとってとても厳しい結論になる。どうしてみんなこの問題を解決しないんだと叫んでいる友人に、まずあなたの人的魅力が、、なんて言おうものなら、友人関係は破綻するだろう。

自由という状態は、依存先が十分に分散され選択することもできる状態と言い換えることもできる。これがなければ生きていけないというものがたった一つしかなければ、依存しコントロールされる。もしそれが一つもなければ人は相当な孤立感を覚える。孤立した人間は必死で依存先を探す。

何をやってもうまくいかなかった。ただ、ネットであの人を叩いたときに初めてみんなが反応してくれて、賛同を得られた。嬉しくてどんどん加速した。と、誹謗中傷を繰り返す人が話をしていた。起きている出来事は誹謗中傷だったが、その人の心の中では依存先が合致した瞬間だったのだろうと思う。極端に言えば対象は大きな問題ではなかったのではないかと思う。

しかし依存先の一点投下は人の思想に偏りを生み、偏りが強い人は偏りが強い友人ばかりが増えていき、さらに思想の偏りは強化される。孤立感が強い人が、あるテーマで依存し合える仲間を見つけた場合、強固な相互依存グループが出来上がる。リーダーがそれをわかっていて利用している事もあるが、リーダー自身が最も依存している場合は多いのではないか。

初めて海外のチームに入ったとき、思ったことが言えず、次第に自分が軽視されていると感じて、辛かったことがある。そんなときに日本人に会い、本当に怒涛のように喋った。ただ話を聞いて存在を認めてもらえるということがこんなに重要なのかと気がついた。

社会を変えたい個人においては何かを主張しなくても話が聞いてもらえる人的魅力を手に入れることが大切になると思う。つまり社会を変えようとするならば、まず自分の問題と向き合い自分を磨くということになるがこの方が社会を変えるより辛い場合もあるだろう。乗り越えられる人はどれほどいるのだろうか。

そして社会においては、誰もが話が聞いてもらえるという仕組み作りが孤立を防ぐのだと思う。

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