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目標達成後の話 2015年1月5日

2015年01月05日

昨日番組で青山学院の選手たちに会った。楽しげな普通の大学生といった風で、この選手達があの過酷な20kmをあんなスピードで走ったのかと不思議な気持ちになった。番組の事前の打ち合わせで選手からこんな質問がくるかもしれないという話がテレビの方からあった。その質問の中に”目標を達成した後、どうすればいいんですか”といった意味合いの言葉があった。

少し先輩ヅラをしてみる。本当の勝者は一人か一チームしかいない。そこまで厳しくなくても、ほとんどの人は勝てていない状態だし、結局最後まで勝てない。だからどうやれば勝てるのかというのが世の中の興味の中心になっていて、勝った後どうするのかというのは贅沢な悩みにしか見えない。

前人未到の何かをしたいと思っていたので、日本人がまだメダルをとったことがないことからメダルを取るというのが僕にとっての大きな目標になった。ところが人生をかけて追いかけるはずの目標がある日いきなり手に入ってしまう。23歳の時だった。しばらくは最高の気分だったのだけれど、3ヶ月を過ぎたあたりからいったい自分が次は何を目指していいのかわからないことに気がついた。

人は目標を立てて達成しようとする。これはとても重要なことで、だからこそ人は頑張れるのだけれど、目標を叶えようと強く願えば願うほど、叶った後の揺り返しは大きい。目標への思いの強さに比例して、目標達成後はいったい何を目指せばいいのかという戸惑いが訪れる。

人の期待には慣性が働く。負ければもうおしまいだと言われ、勝てばもっと衝撃的な勝利をと言われる。メダルを取ってみて初めて知ったのは期待は重いということだった。がんばってねと言われるたび、次は優勝してねと言われるたびに、少しずつ期待に応えなければという思いが募り「勝ちたい」がいつの間にか「勝たなきゃ」に、そしてがっかりさせられない、に変わっていった。

メダルをとった後の世界は、人に結果を期待され、見る人が圧倒的に増え、失敗するとがっかりされ、目標をクリアし続けなければいけない世界だった。あの山頂までいけば楽になれると思って登った山頂は延々と続く山の中腹だった。山頂は競技を続ける限りは存在しないことにその時ようやく気がついた。

山頂を目指すことが目標を達成することにあたる。一方で山頂を目指す山登りはその道中にあたる。それから何かを達成することからだけではなく、何かを目指して創意工夫をしている山登りそのものから喜びを得るように意識を変えた。どうせ山登りは続くんだ、楽しく登らないと自分がもたないと思った。考えてみればもともとそうやって始まったはずだったのに。

目標は時に達成されてしまうことがあるが、そのあとも山登りは続く。人間楽しくないとそんなに続けられるもんじゃない。

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