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自己肯定感の整理

ご質問が多いのでこちらで整理してみます。

学術的には自己肯定感の定義は統一されているのでしょうから、研究などで使われる場合にはその定義に従うとして、私が自己肯定感の根源や土台と言っているものの定義をお話しします。

生物は生まれ育つ環境に適応します。正確に言えば持ち合わせた特徴が環境に適応的だった場合生存確率が上がるということです。人間は動物の中で唯一と言っていいほど圧倒的に長い年月、未成熟なか弱い子供時代があります。そこには環境を見極めゆっくりと適応しようとする人間ならではの生存戦略があります。特徴が出来上がって生まれてくるのではなくある程度余白を持って生まれてきて、生まれてから環境を見極めて適応しているわけです。この局面で、どの環境に適応すべきか、世界に対しての自分の見方や態度を決める、言わば世界とはどういうところなのかという根本のモデルを獲得すると私は考えています。

この生まれて育つ最初の頃の局面に、自分の存在が受容され、しかも信頼できる他者に自分を受け入れられた経験が、社会に受容されている感覚、この世の中は信用できるという感覚、自分自身の存在は揺るぎないという感覚をもたらすと私は考えています。私が思う自己肯定感の土台はこれです。では、これが獲得されるとどうなるのか。

RPGゲームを例えにお話ししますが、私が考える自己肯定感の根源を獲得すると、イメージで言えば体力ゲージが大きくなり、しかも静かに座っているだけで体力が回復するような性質を持つことになります。つまり普通に生きているだけで活力が湧いてくる。おとなしくしているだけで傷が癒える。余った体力、空いた余白を何かに振り分ける事ができる状態になると考えています。

一方反対の状況では、社会は危険で環境は自分に危害を加えてくる、あるがままの自分は受け入れられない、という世界モデルを持ちます。この場合、そもそも他者や社会は信頼できないという前提に立っているので日常を警戒緊張しながら過ごしますから、先程の例でいえば体力ゲージがそもそも小さく、かつ少しのことで体力が減ってしまい、静かにしていても自分で自分を癒せないという状態に陥るのではないかと想像しています。

もちろんこのような状態から社会的に成功し、幸せになることもあります。ただ、自己肯定感の根源を獲得した人よりも、もっと大きな労力を必要としていたはずだと私は思っています。

以上、自己肯定感の説明でした。

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