見出し画像

素直な人とイエスマンは何が違うのか

素直であることと、ただのイエスマンの違いがわからないという質問がありました。
これは確かに微妙なところで、素直さはただの従順さになりえます。また教える側も、実際には相手を従順にさせコントロールする為に素直になれと言っていることもあるかもしれません。では、違いはどこにあるのでしょうか。

私は、素直であるということは行いながら感じているということだとしています。一方ただのイエスマンは無感覚、または感覚を抑え込んでいます。
例えばインタビューがわかりやすいでしょう。事前に質問を幾つか用意して、当日相手にそれを質問します。相手が返答し、それを受けてまた質問をします。

イエスマン的な行為はインタビュー中は準備された質問をすることに意識を向け、帰り道は質問がちゃんとできたかどうかだけをチェックします。
素直な人間も質問に意識を向けるが、同時に相手が答えていることも感じ取っています。そして疑問が湧いたり興味が湧く。帰り道では相手が返答した言葉の意味を考えます。

インタビューを繰り返すうち、次第に疑問や興味が大きくなり相手の返答に対し追いかけて質問できるようになります。次第になぜそれに自分が反応したのかを内省できるようになります。
これにより深く外へ内へ理解が進みますが、その起点は自らの行為と感じ取る部分にあります。

Don't think feelとブルースリーは言いました。達人はそうかもしれませんが、私はまずdon't think, do it and feel itなのだと思います。イエスマンはdon't think, do itでしかありません。
行いながら感じる人間には気づきがあります。気づきがあればただの繰り返しにはなりません。

行いながら感じるにはどうすればいいのか。それは自分を開いておくことです。開くとは何か。それは自分の中で感じることを流しておくことです。流すとはなにか。起きたことに拘らず、決めつけず、滞らないことです。
そしてこの拘りと決めつけと滞りを生むのが考えることになります。だからdon't think feelとなる。

では、考えない方がいいのか。考えることは大切です。問題は行うことと考えることを同時にやらないことでしょう。何も考えずただ素直にやり、その後感じたことをヒントに考え自分なりの改善点を見出す。イエスマンは考える行為に発展しません。一方で、素直になれない人間は考えない状態が作れない。

達人は外から見ればやりながら考え感じているように見えるが、内情はそれらを一瞬一瞬で切り分けています。達人は考えることよりむしろ自在に”考えない状態”に入ることが優れています。達人の中で何が起きているかも理解せず、外側だけをいきなり手に入れようとして、素人は迷路にはまり込みます。

自分の人生を振り返ると、自分で考えることや自分のスタイルに拘りすぎて、素直に子供のようにやるということを疎かにしすぎました。嫌いな人が言っていることでもまずやってみて、それから考えるということをもっとやればよかっと思っています。自分で自分の世界を狭くしてしまっていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?