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セルフコーチングと素直さ

社会がリモートワーク中心になり、人材の流動性がもっと高まると、どこか組織に身を委ねていれば育ててもらえるような時代が終わり、セルフコーチングの時代が到来するということだと私は考えています。ではセルフコーチングとは一体何なのでしょうか?

一言で言えば「自分に気づくことができる」だと思います。メタ認知や、客観的だとかそんな表現でも構いません。そもそもコーチングというものがコーチが対話を通じて本人に気づかせるというものですから、それを自分自身で行えなければいけないということです。では気づくとはどういうことでしょうか?

例えば仕事やスポーツは結果で評価されます。結果を観察しどうすればよかったかを内省し、次に生かすことが学びです。自分に気づくとはこの結果を出すプロセスで起こしている自分のエラーに気がつくということです。自分を変えれば結果が変わることに気がつくということです。何をそんな当たり前のことをと言われるかもしれません。確かに人間は常に自分で修正をかけています。習字で字を書いて(アウトプット)うまくいかなければ(フィードバック)次はこうしてみよう(修正)と取り組みます。

しかし、ここでいう自分のエラーに気がつくことは階層が違います。例えば習字のコンテストに作品を出して落選します。一生懸命うまく書いても落選が続きます。なんでここまでうまくやれているのに落ちるんだ、評価が悪いのではないかと憤ります。しかし、その人はうまく書こうとするがあまり無意識にうまい誰かの作品を模倣していて、それが審査員に見抜かれていることに気がついていません。「らしさ」ではなく「うまさ」を無意識に求めていた自分のエラーに気がつけるかどうかという話です。

エラーはアウトプットに問題が起きたからエラーなのであって、言ってみればただの癖です。では癖が問題なのかというとそうではありません。癖があるのにないと思っていることが問題を引き起こします。運が良ければこの癖は他者から指摘されるのですが、自分に気が付かない人は癖なんてないと思っているのでこれを拒否し否定します。そしてエラーを起こし続けます。

自分で気づき続けるのはかなり難しいですから、外からのフィードバック(他者の指摘、内省)を反映させ、自己修正できるかどうかが全ての鍵を握ります。それは突き詰めると「素直さ」に帰結します。素直さの有無ほど劇的に人の成長を分けるものはありません。素直な人は騙されやすいとよく言われますが、パフォーマンスにおいての素直さの定義は「他者や外部からのフィードバックを(都合が悪かろうが)受け入れ活かす能力」だと私は考えています。ですから疑い深いけれども素直な人や、他者とコミュニケーションを取らないけれども素直な人ということもあり得ます。フィードバックが人間からとは限らないからです。

素直さがない状態の人間は、まるで自分の影に追いつこうとして追いつけない子供のようです。どうして影は逃げるんだろう、影そのものの問題だろうか、風やその他の要因だろうかとあれこれ子供は悩みますが、自分が動くから影も動いているのだというシンプルな答えだけが思いつきません。影が動いているのは私が動くからなんだと気がついてからは、影を思い通り動かすために自分の動き方を習得するだけです。セルフコーチングにおいて現在地がなければ何を修正すればいいかがわからないので、自分が把握できないということは致命的です。GPSも地図もない登山のようなものです。

昔のように密なコミュニケーションが少ない社会において「自分に気づき続ける」ということがこれからは問われると私は思います。そしてこれは通常の仕事の頭の使い方と方向が違うので、苦労する人も多いと思います。

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