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戦略における反省

反省をする際に大きく分けて二つの方向があります。倫理的に何が問題だったのかと、戦略的に何が問題だったのかです。前者は時代とともに価値観が変わりますが、後者は時代が変わっても基本的には変わりません。

どちらも大切な反省なので、徹底的にやる方がいいですが、少なくともどちらの話をしているのかを認識しながら分けて話せるようにしないと結論がまとまりません。スポーツで言えば甲子園での松井選手への全打席敬遠というものがありますが、あれは戦略的に正しかったのかと、倫理的に正しかったのかの両方で見ることができます。両者が混同されると議論が噛み合わず、お互いあいつは話がわからんやつだとなります。

例えば戦争は倫理的に大変な問題を孕んでいる行為です。各国過去を振り返り人としてどうだったのかを反省することは重要だと思います。一方で、戦略的に反省するときには別の見方をしなければなりません。日本軍の戦略分析本としては失敗の本質が有名ですが、もし失敗の本質に倫理的に正しいかどうかの質問をぶつけるとしたら全く話が噛み合いません。ですから冒頭に丁寧にこれは戦略のみに絞った本ですと書かれています。

スポーツにおける戦略は、まず何を自分は持っていて、相手は何を持っているかを知るところから始まります。当たり前のように聞こえますが、これはリソースの限界を知るということでこれができていないことは多いです。つまりいくら努力してもここまでしかいけないという限界を理解してはじめて戦略が成り立ちます。

頑張れば限界がないという考え方は戦略的な考えと極めて相性が悪いです。例えばこの選手の身長や骨格から割り出して出せる最大筋力はここまでが限界だろうから、直接正面からぶつかる戦いかたは避けて動き回ろうという戦略があります。しかしここに、人間に限界はないから頑張れば最大筋力はいくらでも大きくなるという回答をしてしまえば戦略も何もありません。もし全てに限界がないなら、戦略は必要ありません。努力ではなんともならないものがあるから戦略があります。

教育的な考えと戦略は相性が悪いことがあります。勇敢に戦ったとか、素晴らしい負け方だったという考えは人を育てる上で大切だけれど、戦略の反省においては意味がありません。戦略的な反省は目的は達成されたのかされなかったのか、達成されなかったならどうすればよかったのか、そもそも負けない状態はどうすれば作れたかに集約されます。教育的な考え方はそこから何を学ぶかに注目していますから、勝利(目的)そのものに注目する戦略的思考と相性が悪くなります。

倫理に対しての反省と戦略に対しての反省どちらも大事です。ですからどちらもやることがいいと思うのですが、この議論が行われる条件としてこの二つの違いを理解している人であるということがあります。でなければ、「あなたには人の心がない」とか、「あなたは気持ちの話ばかりだ」などと言って話し合うどころではなくなります。私の印象では特に日本は、戦略の反省がうまくできないです。というよりも戦略がそもそもない場合もあります。

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