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生まれた後の命、生まれる前の命

繊細な議論だということは分かった上で申し上げます。国を継続していくことは「生まれた後の命と生まれる前の命をバランスし続けること」と言い換えられると思います。リチャードドーキンスは、利己的な遺伝子の中で生き物は「遺伝子を運ぶ方舟である」と説明しました。私たちは次の世代に命を繋いでいくことで、人類という種を存続させてきました。他の生物は「食う食われる」の中で必死で生き残りを図っていますが、人類は高度な文明を築き、社会というシステムの中で次世代に命を繋いでいくことができます。

生まれた後の命を担当するのが医療、生まれる前の命を担当するのが社会全体だと思います。医療が発達することで生まれた後の命を守り延ばしていくことです。つまり幼児期の死亡率が減少し、寿命が伸びます。医療は生まれた後の人たちの幸福感を高めます

生まれる前の命は社会全体で担当しています。複雑ではありますが、子どもへの支援、親に対するサポート、教育、文化などです。子供を産みやすくなるということは社会のあらゆる制度が影響するのでどこかの省庁だけで受け止めきれず、社会全体が関わってきます。

生まれる前の命は票として意見を表明することができません。我が国では18歳以上の方のみが投票権を持ちます。もし、私たちが純粋に自分個人の人生の利得(子供が産まれて嬉しいなどの感情は省く)を追求するなら、生まれてくる命の代弁をすることはありません。今生きている世代が栄え、富は分配され、徐々に衰退していきいずれ存在感も影響力もなくなるでしょう。

幸せになりさえすれば人は子供を持ちたがるということは、データの上では正しいとは言えません。豊かになり以前より幸せになったはずの先進国は一様に少子化が進んでいます。大変悩ましいことですが、マクロの視点で言えば豊かになるほど少子化に向かう傾向にあります。ですからただ個人の幸せを追求しただけでは、子供が増えていくということはなさそうです。

民主主義制度の国家がつながっていくためには、生まれる前の命の意見を誰かが代弁しなければなりません。これは自分の人生の時間軸をこえて、自分が死んだ後の社会まで想像しながら行動するということになります。しかしこれは今生きている人たちの利得の一部を未来の世代に配分することでもあります。先人が我々に対して資源を配分してくれたように、私たちが次世代に利得を配分できるかが問われています。

人口減少自体は先進国では避けられないのだと思いますが、現行の制度が破綻しない程度の速度にしなければなりません。少子高齢化の先人である日本がどのように着地するのかを見て世界は学習するでしょう。果たして我々は良い未来を次世代に残せるのか。人間の想像力を試す一つの社会実験のようです。


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