幸せの軸

私は仕事をしている人が不幸せを感じる理由は人生における軸の欠如から来ていると思う。人生で選択をする機会が少なく、様々な条件を比較検討する機会も少なく、一体何が自分の人生にとって大事なことかを考える機会も少なく、結果として自分としての幸せの軸が何かがわからない。

”好きなことだけやって生きていこう”というのもある種の反動に見える。好きなことだけやっていくのは可能かもしれないが、それが可能なだけの能力条件を揃えた人だけができることだし、また好きなことの中にも嫌いな要素はある。親の介護も大変だし、子育ても大変かもしれない。また、やりたいことをやらせてもらえる能力がないこともある。

選択というのは常に最良ではなく、総合してより良い方を選ぶ。つまり常に何かは足りない。やりたい仕事ではないが収入は高く子供の教育を考えると幸せとか、収入は低いがやりたい仕事だしそれに合わせた生活をする方が自分は幸せとか、複合的なものの中から選ぶ。仕事だけが幸福の要因ではない。

今の状態を考えると最も良いと思われる選択を繰り返すことで自分の幸福の軸がわかる。幸せの基準が経済的余裕だという人はお金を稼げばいいし、仕事から得る充実が大切な人は好きなことをやればいいし、家族や生活が大事という人は割り切って仕事をすればいい。幸せの感じ方は人によって違うし、違ったところで気にする必要はない。

高学歴の人が、低収入の仕事を選ぶとなんでもったいないとどこかで思う。理由を聞いてへーそうなんだ、それがあなたの幸せなんだねと素直に思えない。きっと何かあるはずだと勘ぐりすぎる。常に見えない一つの評価軸がありそのどこに自分が位置しているかを気にするし、無意識でそれで上下を決める。

幸福は仕事だけでも、家庭だけでも、役割だけでもなく、無数の組み合わせで決まる。どの組み合わせが最も幸せなのかは自分しか決められない。それはいきなりは分からず人生の選択の連続の中に見つけていく。選べないのは選んできていないからだ。選択初心者はいきなり仕事だけで幸福を満たそうとする

選択初心者あるあるは、自分で選んだのにいつもこんなはずじゃなかったと思っている。嫌ならやめればいいのにやめられない。いろいろ理由はあっても本当は自分に勇気がないだけだとわかっているから余計に苛立ちは募る。このように人生の後半でいきなり選ぶのは辛い。なるべく人生の前半で選んで失敗しておく。

不幸せな社会は裏を返すと、幸せの条件がはっきりしすぎた社会だ。大変な状況に置かれた人の選択肢がない問題は、社会全体で対応する。一方個人レベルでは、選べる人は自分で選んで人生を納得して生きる。違うと思うなら変える。人生は制限だらけだ。自分が幸せを感じる軸を見出し、よそ見して比較せず、組み合わせを見つける必要がある

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?