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今ここを生きる※『更生保護(令和6年3月号)』に寄稿

2008年の北京を最後のオリンピックにしようと決めて競技を頑張ってきました。2008年のオリンピックは苦難の一年でした。まず1月頃にアキレス腱を痛めます。だいたいそこに痛みが出ると1ヶ月程度は走ることができません。

ようやく治ってきたと思った3月ぐらいにまた足を痛めます。今度はふくらはぎでした。4月のシーズンを迎えてもなかなか足が治りません。他の選手たちは皆試合に出ていい記録を出しているのに私だけ試合にも出られず、リハビリを続ける毎日でとても焦っていました。
ようやく足が良くなってきて、いよいよオリンピック選考会である日本選手権の6週間ほど前に再び足を痛めました。陸上競技の常識で言えば、その年に一度も試合に出ておらず、しかも本番の6週間前に怪我をしたとなればかなり状況は厳しいです。本当に落ち込みました。

東京都北区の赤羽にオリンピックの強化センターがあり、5,6月は毎日そこにいきリハビリをして、歩行を繰り返していました。朝起きてベッドから降りて地面を踏んでみる。あまり痛くないときは気分が一気に晴れやかになる。ところが、グラウンドについて少し動くとやはり痛みが出る。そうすると気分が落ち込む。「オリンピックに行くんだ」という気持ちと「もうダメかもしれない」という気持ちの間で、1日に何度も揺れ動きました。
テレビでは「〇〇選手がオリンピック代表に内定!」というニュースが報道され、それがより自分の焦りを加速させました。
ちょうどその頃ドキュメンタリーの取材を受けていたのですが、取材で答える内容もかなり暗いものが多かったと思います。明るく対応する余裕もありませんでした。

ちょうど選考会の2週間ほど前だったでしょうか。同じようにグラウンドでただ上り坂を歩いて登ったり降りたりしていました。グラウンドには誰もいません。少しだけ鳥がさえずっていたように思います。初夏の陽気な日でした。
突然世の中の音が小さくなったように思いました。そして「自分がやれることをやるしかない。自分がやれることをただやれば、それでいいんだ」と直感しました。
どうして足を痛めてしまったのかと何度も悔やみましたが、過去は変えられません。もしオリンピックに行けなかったらどうしようと憂いていましたが、未来もまだきていません。それに選考に選ばれるかどうかは、私になんとかできることではありません。私にできるのは「いまここを一生懸命生きること」それしかありません。やれることをやろう。やれることをやるしかないんだ。
そう考えると急に心が晴れやかになりました。気がつけば鳥のさえずりがまた戻ってきていました。

その年の日本選手権にはなんとか間に合い、オリンピック代表の座を勝ち取りました。オリンピックでは結果を出せず、それが私の最後のオリンピックとなりました。

競技者は目標を立てそれを達成しようとします。また過去のレースを振り返りそれを反省します。しかし、実際に未来や過去を走ることはできません。自分が生きられるのは「いまここ」だけなのだろうと思います。
今でも未来について不安になることや、過去を悔やむことがよくありますが、その度に「今ここを一生懸命生きればそれでいいんだ」と自分に話しかけています。そうするとつい忘れていた、春の暖かさや、街の音が聞こえてきて、心が開かれたようで気分が良くなります。

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