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ルサンチマン

ルサンチマンという言葉があって、確かニーチェが広めた言葉で、弱者の強者に対する怒りや憤りの感情という意味合いだったと思う。ルサンチマンを発端として、強者が崩れ落ちる様をみて溜飲を下げるというところまでを意味の中に入れて使っている人も見かける。

ルサンチマンという感情がなぜ生まれたというのかはさておき、私は以下の三つの理由から、日本社会においてルサンチマンが生まれやすいと考えている。
・固定化された成功の定義
・欲望が抑制的
・非流動的
それぞれ説明してみたい。

日本社会では、これが社会の勝者だという定義がかなりはっきりしているように思う。全員が同じレースを走っているようにも見える。本当は社会には様々な価値観があり無数の成功の定義があるのだけれど、自分はこれを大事にして生きていこうと考え決意する機会が少なく皆似たものを欲しがる。

また自分の欲望を出すのは恥ずかしいし、個人より集団の都合を優先すべきと考えるので、誰もが何かしら我慢をするのが当たり前になっている。我慢しないで自分のしたいようにする人間を見て集団の敵だとすら考えるところがあるが、実はそうできなかった自分の人生と比較し羨んでもいる。

昔のヨーロッパもそうだけれども人の動きが少なく役割が固定的な社会ほどルサンチマンが生まれやすいと思う。つまりしょっちゅう人が入れ替わっていれば、様々な価値観つまり多様な幸福のあり方にも触れるし、どこかで自分の人生が変わるかもしれないという期待を抱ける。非流動的な社会ではそれがない。

最近は情報だけは取れるので、常に変えられない自分と、他の世界を比較するという機会が生まれる。しかし、比較して落ち込むということの裏にはその人の中に、あれは幸福でこれは不幸だという基準がかなりはっきりしている。自分にインストールされた価値観が自分に敗北感を感じさせている。

ルサンチマンと正義は相性がいい。本当は個人的な感情から来ていても、それに集団的お墨付きがもらえるテーマが見つかったとき、抑制してきた感情を爆発させることができる。しかしながら、あの人が没落しても自分が上がるわけではないので、また感情は蓄積することになる。この繰り返しで時間が過ぎる。

幸福の定義が多様になること、格差の固定化を是正する仕組みを作ることが社会全体では大事なことで、個人としては情報を取りすぎないこと、なるべくエネルギーを他人ではなく自分の人生に振り分けることが大切だと思う。ルサンチマンを嘲る側も、実は自分の内側に同じタネを持っているとと私は思う。

自分なりの小さい幸せを見つけ、それを大事にして自分を幸せにすることが、大きく見れば社会をよくすることに繋がると私は思う。

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