気づきを考える

私は選手時代、自分で自分をコーチングしていました。知識を得ることは勉強すればいいし、身体を鍛えることはトレーニングをすればいいですが、最も難しいけれど最も重要だったのは自分に気づき続けることでした。

気づきの最大の特徴は周囲からどんなに働きかけても、本人にしか気付けないということです。気づきは純粋に自分の発見でなければなりません。例えば、本人が気づいた瞬間、過去を振り返ると驚くほど多くのサインが周囲から出ていて、ダイレクトに自分自身に指摘されたこともあったのに全く自分が気づいていなかったことに愕然とします。タイミングは自分に委ねられていたわけです。

競技者にとって前半の賢さは外で起きていることに気づくことで、後半の賢さは内から始まっていることに気づくことです。前半の賢さと後半の賢さは質が違います。また、気づきはどうしようもなくてお手上げになる局面でやってくることが多く、また「私は関係ない」という理屈を作れれば気づきをかわせるので、優秀であることと気づきを得られることはあまり関係ありません。ですから、たくさんの知識と優れた身体を持ちながら、自分の認識の癖により失敗していることには全く気がつかないことが起きえます。特に年齢を重ね成功した人の気づきは自我が強すぎるが故にかなり難しくなります。

深い気づきには大きな衝撃が伴います。必死で問題を解決しようとし、苦労し、時にはそれを憎みすらしたのに、実は問題は私であったと知ることだからです。気づきはただの発見ではなく覚悟でもあります。気づきはそういう意味でもとにかく「自分に気づく」ことです。自分にとって自分以外に世界を認識している存在はいないからです。この衝撃はとても強いので、それなりに自分に余裕がないと成立しないということはありえます。

気づかない人に気づかせることはどうすればいいでしょうか。注意しなければならない点は、気づかせようとしている側が「相手が気づいていないことを自分はわかっている」という無意識の傲慢さに気づき続けられるかという点です。指摘しているコーチが最も気づいていなかったということはよくあります。人は思い込んでいる時は思い込んでいるとは思わず、思い込んでいたと気づいた時にはすでに思い込んでいません。

私なりの学びは
「底に落ち切るまで待たなければならないこともある」
「気づきは積み重ねではなく一瞬で起きる」
「気づきは完了しない。死ぬまで続く」
でした。

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