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一体感の弊害と利点

集団の一体感はチームが結果を出す際の有効な手段になり得る。ただ、それは万能ではなく弊害も孕んでいるのでそれをわかった上で使う必要がある。一番の弊害は、個人の実力をある一定の領域で止めてしまうことだ。一体感は個人より集団を優先させ、それは時に突き抜けた才能を制限する。

特に日本における一体感を持つ集団は同質性を持ちやすい。あいつなんか違うよなということの基準が厳しく、容易に一体感からカルト的な空気が生み出されていく。イメージされるのは強権的なリーダーだが、むしろ日本の場合は権力ではなく空気によって皆が無言のまま全体が一つに染まっていく。

一体感は手段ではあるが目標ではない。スポーツにおいては目標はチームの勝利。一体感はアマチュア的集団、個人の能力が低い集団の場合効きやすい。個人のレベルが上がると、個人が自分で自分の成長と、戦略を明確に持つので常に集団と個人の利害が微妙に綱引きをするし、その緊張がよい効果をもたらす。アマチュアはこの緊張感をチームワークの乱れと捉える。

競技レベルが高い世界は人の入れ替えが激しい。レベルが低ければ外され、高ければもっと上にいく。一体感は仲間意識を高めるので人の流動性が低くなる。仲間を大事にするが、身内贔屓で外と中で正当な評価ができなくなる。一体感の弊害は中にいれば幸せだが、長期間いると外では実力不足ということが起こり得る。なぜならば緊張がないか、または組織への適応をしすぎてしまうからだ。

なぜ突き抜けた存在は一体感を嫌がるのか。プロの世界では個人は自分で自分の目標を決め、自分を成長させ、自分で期待されている成果が出せているかのチェックをし、戦略を描いていることが前提なので、皆の力の方向の一致だけが気になる。だが、一般的な一体感は個人の人生や姿勢に介入しやすいのでそれを嫌がる。ヒットさえ打てばあとは任せるという方が才能ある人は自由な打ち方を試せるのでいい。

人間はエゴがあるので、注視しないと簡単に自分の利益に行動が向かう。この場合は小集団も含むので、大きな組織の中のセクションの利益に意識が向かうのもエゴが影響する。一体感はこれらを防ぐ効果がある。シンプルに言えば小さな我々から、大きな我々に意識を向けさせ、力の方向を一致させる。一体感がない組織は、詰まるところ組織のことを誰も自分のことだと思っていない。

一体感を扱う上で重要なのは、扱っている自分自身をよく観察し知っておくこと。自分という存在が集団の中でどういう役割を担っていて、その動きにより集団にはどんな変化が生まれるのかを観察し、それを先読みして動くこと。一体感が弊害を生み始めるときは誰も自分たちを外から見なくなるときだ。

チームワークと仲がいいを同じ意味で使っている集団は、空気はいいがパフォーマンスは低い。

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