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遅く抽象的で主観的なフィードバック

フィードバックは早ければ早いほどいいというのが部下を育てる上で重要なことだと言われている。確かにスポーツの現場でもフィードバックは早く正確に客観的にと言うのが大事と言われる。確かに人間が運動を学習する時なるべく早く正確な結果が返ってくれば、トライと修正の回数も多くなり学習が早まる。

けれども、人を育てる際に、フィードバックが早くなく、正確でない方が望ましいという時もあるのではないかと思う。例えば、感情的になっている時にフィードバックをするとその人のその時の感情バイアスが情報を歪めてしまう。その人は落ち着いて話を受け入れられる状態かを探ることは大事だと思う。

また、フィードバックが正確かつ早いほど、直接の行動を改善できる。一方で、気づきを得るという類の学びは外からやってくるものではなく、悩みの中に自分の中から発見する。フィードバックが直接的であればあるほど、その人は悩む必要がなくなる。それは悩むプロセスを失うことでもある。

例えばその人がある思い込みの中にいる時、お前は思い込んでいると言っても全く耳に入らない。私が思い込んでいるように見えているのもあなたの思い込みではないかという反論も成り立つ。このように決して外部からは伝えられず本人が発見しなければならない類の学びにはどうアプローチすればいいのか。

時を見てさりげなく向こう側から見えている視点、違う視点を提示する。直接的であれば受け取り難いので、できれば自分の失敗談やまたは寓話の形で。最初は禅問答のようで意味がわからないが、ある時ふともしかしてこういう意味だったのではないかと思うかもしれない。結果をコントロールはできないが

思い込みから脱却する時、全てはただのきっかけに過ぎない。気づくのは自分でなければならない。外部から提供できるのはあくまで示唆であり、直接的ななにかではない。そして時々このような気付きの類の学びが、人生で最も大きなインパクトをもたらす。世界が一変して見える時もあるぐらいだ。

行動に関するフィードバックは早く正確に客観的である方が望ましいと思う。一方、その行動に至った思考の癖や、その人が無意識に持っているバイアスに対するアプローチにはむしろ遅く抽象的で主観的な体験を伝えた方が望ましいように思う。人はいつ気づくかを自分で決めている。

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