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新聞テレビが信じられないと思ったときに読む文章

「インターネットが問題というが、テレビも新聞も信じられない」といったご意見をいただきました。メディア内部で一生懸命やっている方もよく知っているので、私の意見はそれなりにありますが、情報が偏向しているという指摘は間違いではないと思います。

私は社会に真実を伝えている媒体がないことが問題なのではなく「どこかに真実を伝えられる媒体がある」と信じてしまうことが問題だと思っています。

友人の方の娘さんが英国の学校に行っていたそうですがそこで「ソース」と言われる授業があったそうです。 たとえば中世のある時期の農民の暮らしを知るために情報ソースを選べという問題があります。
1、農民の残した日記
2、領主の回顧録
3、行政が残した農民に関するデータ
などです。 

問題は 「ソースを選び、それがどのように偏向され得るかを論述せよ」 でした。
つまり、世の中の情報に偏向のないものはない前提で、偏向の方向を自分の頭で考えて情報を理解する授業だったそうです。

陰謀論の議論をするとよく「テレビ新聞が信じられない」といった意見をいただきますが、「どうしてどこかに信じられる情報がある(あるべきだ)と思うのか」の方に着目したくなります。

誰もがなんらかのインセンティブシステムに巻き込まれています。メディアはビジネスモデルに影響されます。社員は会社の意向は汲み取らないといけないし、どのような国民も国家や文化に影響され、youtuberはyoutubeの規約と収益モデルに影響されます。 真実を語ろうとしている方はたくさんいらっしゃると思いますが、インセンティブや認知バイアスから逃れている方はいません。

もちろん自分もそこに含まれます。
自分の世界の捉え方は育った環境に影響されています。好き嫌い自体が一つの偏向です。 人間が身体で受け取る外界の情報は編集され、意識されることが知られています。

つまりどこにも完全な一次情報はなく、私たちが認識する全ては偏向しています。 私は、世界はインセンティブシステムで動いていて、その人個人が陥りがちなバイアスがあり、その立場の人だとこう考えざるを(答えざるを)得ず、ある文化圏はそう捉える傾向にあり、私自身はこのようなインセンティブに巻き取られており、このように考える性質がある、という前提で世界を理解するしかないと思っています。

真実の追求には大きな意味があると思います。科学者の方と話をすると、膨大な思考と調査の上で積み上げていっています。それでも「人生をかけたけど、わかったようなわからんような」と言った方もいました。

自分にいつも言い聞かせているのは
「みんなが気づかない真実に気づけるほど頭がいいなら、もっと大成功しているはずだ」
「人生に一発逆転はない」 です。

その上で、思いついたことや仕入れた情報を、専門家の方に当てて問題を指摘してもらい、各分野で基礎となる本を薦めてもらいそれを読み、自分は今どう見えているかを他人に聞くことにしています。

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