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思う通りに身体を動かすこと、身体を明け渡すこと

私が競技を始めて最初の目標は自分の思い通りに自分の体を動かそうということだったが、競技を進めていくと次第に自分が身体を扱っているというよりも抽象的に意図した方向に勝手に動く身体を、自分の意識で追随しているような感覚になっていった。そこで意図するとはどういうことかに興味を持った。

調べていくと人間の身体は無意識の領域で多く動いていて、さらに言えば人間に自由意志があることは相当に疑わしい。そして意図して身体を動かすことは、実は遅い。高レベルになると意図することが全く間に合わず、どちらかというと身体は扱うよりも、環境に向けて明け渡す感覚になる。

明け渡すとはどういうことか。人間はどうしても自分の体を思い通り扱おうとしてしまう。トレーニングにおいてはそれでもいいが、いざ試合となるとこの思い通り扱いたいという自分が邪魔になって素早くスムーズに反応できない。ボールを避けようと思うよりもぼんやりしている方が避けるのは早い。

しかしながら、意図しなければ方向が生まれない。このように動きたいという抽象的なイメージを持ち、それらを身体がなぞる。うまくいくときには身体がそれを追い越して行き、自分が追随する。トレーニングとは試合時に自分の身体に主導権を明け渡して機能するようにしておくための刷り込みだと言える。

身体を組織として考えると、司令部である脳と伝達機関である神経とそして稼働する筋肉、さらには外部情報を手に入れる感覚部位がある。結局のところ脳は直接は外部情報にはアクセスできず、いつも身体を介して知る。身体をよく扱うとは外部環境と脳との間にある身体を誘導する行為でもある。

上手くなるには自分の身体を思い通りに動かせるようになることが重要だけれども、突き抜けるにはせっかく手に入れたコントロール感を手放せるようにならなければならない。入れ物に詰め込んで選手は強くなっていくが、最後に突き抜けるには全部忘れて空っぽになれるかどうか。

よく経験を積んだ領域においての勘は、考えるよりも早くて正確だ。

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