十分に話を聞いてもらえない高齢男性問題
十分に話を聞いてもらえない高齢男性の怒りというのが社会課題になると思っています。全てではないですが高齢男性の中に、主張/説教と対話/会話の違いがわからなくなっている人は一定数います。その場合コミュニケーションの方法が主張と説教しか無くなってしまっていて、どんなに抑制しても、何かを教えてやる、正してやるという話し方になってしまっています。
若い時であれば部下や年下の人間に、自分の考えを述べる機会がありました。ただそれは組織の枠組みがあり地位があるからで、その枠組みが外れた途端話を聞いてくれる人はかなり減ります。一方的な説教や主張を聞きたいと思う人はそんなにいないからです。
人間はやり方がうまくいかなくなると原因を考え修正をかけるものですが、このタイプはそれがうまくできません。常に問題は自分以外の社会にあると考える傾向にあるからです。問題だと自分が思う時、その問題を引き起こしている原因と、それを問題だと感じる自分の価値観の両側面があります。最近の若い奴は軟弱だと課題を感じる時、軟弱ではいけないという価値観が必要になります。柔軟だと感じるか軟弱だと感じるかは、自分の価値観が決めています。
だいたい自分を変えるのが得意ではない人は、問題が起きても自分が原因だと考えない傾向にあります。そうしたロジックの上では、全ての問題の原因は自分以外にあるので「世の中はなっとらん」となりがちです。さらに外部の指摘を受け入れることが軟弱であり敗北だと考える傾向もあるので、指摘されるほどより強固に自分の考えにこだわります。結果として考えが頑なになり、主張が激しくなり孤立していきます。
実際には孤立しているのも相手が話を聞いてくれないのも自分のコミュニケーションスタイルにが原因だった場合でも、真っ当な指摘をしているのに話を聞いてもらえない、自分は軽んじられていると怒りを募らせてさらに主張が強固になります。誰しもそうですが、十分に話を聞いてもらえないということはかなりのストレスになります。元々それほど強固でなかった人でも会話量が減るとどうしても、会話がしつこくなったり主張が一方的になったりします。facebookで時々政治的なお叱りのメッセージをもらうのは大体高齢男性です。そして高齢男性のプロフィールを見にいくと友人の大半が高齢男性です。
確かに人の話を聞かずコミュニケーションスタイルを変えられない点で、自業自得とも言えるのかもしれませんが、男子とはかくあるべきと育てられた世代でもあると思います。そういう意味で時代に合わせられなかっただとも言えます。「主張する」から「聞く」にうまく変化できるといいと思うのですが、外部からどうアプローチしたらいいのかがなかなかわからないところが悩ましいです。
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