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なぜ子供は自由に決定することを認められていないのか

小学生の全国大会を廃止するということについて、「子供のことは子供に決めさせるべきだ」というご意見をいただきました。確かに自分で自分のことを決めさせることで自律を促すという効果はありそうです。一方、結婚できる年齢に制限があるなど、いくつかの分野では子供が自由に意思決定できないように法律で定められています。また子供に完全に自由な意思決定を認めるなら、当然学校に行かず遊ぶ自由も、働く自由も認めるべきだと思います。でもそうなっていない。なぜでしょうか。

自らで自分が選んだ結果をきちんと想像できるということが社会を作る上の前提となっています。逆に言えば十分に自分の行動が引き起こす結果が想像できない場合、社会側が自由な意思決定を制限することはあり得ます。心神喪失状態であれば罪に問えないとされているのは、自己を制御し自らの行動を自覚することができないからです。自分の意志で結婚することができる年齢に制限があるのは「ある年齢以下であれば十分に成長しておらず自分で決めたことの結果を想像し責任を取れないから」だと思います。科学的には自由意志の存在は疑わしいですが、そういうものがあるということにしておかないと社会が回らないのであることになっていると私は考えています。

また、例えば大変に盛り上がっているスポーツの大会に子供達が夢中になり、沢山怪我人が出ている場合、それは本人の意思決定の結果なのか、それとも大人の搾取なのでしょうか。境目は微妙なところにあります。情報に非対称性がある場合、十分にリスクを事前に説明していない契約が無効になる事がありますが、子供達がスポーツを始める際にこんな体になるかもしれないというリスクは事前に開示されていたのでしょうか。

10代の脳という本に書かれているように子供たちの脳は変異しやすく、大人よりも中毒や依存症になりやすいとされています。その対象にはもちろんスポーツも入っています。スポーツは努力と結果がダイレクトに結びつきかつ身体的な快感もあるので、依存症になる可能性があると私は考えています。
さて全国大会に向けて必死で取り組みたいと子供が言い出した時そこに自由な意思決定を認めるかどうかは人によって判断が分かれます。私はあの加熱を考えると決めさせない方がいいという意見ですが、子供に決めさせたいというご意見も十分理解できますし、実際に良い教育効果がある可能性もあるでしょう。ここは意見が分かれるところです。

私のロジックの背景には
・人間の心には体力があり、消耗するし壊れることもある
・人生はマラソンである。
・成功体験や努力する体験はことの大小に関わらず得られる
・選択のセンスも社会的成功に影響する
・スポーツは教育ではなく楽しむためにある
があります。

人間は当たり前に制限されていることは不自由であると意識すらしません。
犯罪行為とは社会が許容しない自由な行動です。マリファナは日本では禁じられていますが海外では解禁されていますし、ギャンブルが合法の国も、売春が合法の国もあります。日本ではいずれも非合法ですが多くの国民は大して不自由を感じていません。それが当たり前だったからです。

私たちは既にかなり制限がかかっている中で選択をしており、意識すらしない不自由のことはすっかり忘れて狭い範囲で自由を考えています。子供たちに自由な意思決定をさせるセンスを身につけるには、決定をくり返させることは大事です。ただ、それだけでは不十分で、そもそも当たり前だと思っていることをひっくり返して、常識や社会システム自体が人工的なものであり、変えることや離れる事ができるということも同時に教えるべきだと私は考えます。最も自分を不自由にしているのは自分の思い込みですから。

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