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評価されることから逃れたくても逃れられないこの社会で生きていくには

長文ファンの皆様おはようございます。

私たちは常に評価にさらされています。世間が評価をし、上司が評価をし、お客様が評価をし、先生が評価をします。評価されることによって、立場を得たり、利益を得たりします。

普通であれば評価者に評価されるように振る舞うことが、人生をより豊かにしていきますが、ここに一つ課題があります。それは評価者のレベルを超えた行為を評価者は評価できないという点です。

なまじ評価者に合わせようとしてしまったせいで、能力が開花されないこともあります。 さらに人生では評価者が入れ替わっていき、最終的に自分の人生の評価をするのは自分ということになります。あまり無防備に評価者に合わせていると、人生の終盤でしっぺ返しを喰らいます。

評価に納得がいかないと「評価する側がダメなんだよ」 とつい愚痴りたくなりますが、しかし評価から逃れ続けていくと、自分自身は常に評価にさらされる位置から逃げ続けることにもなりかねません。場末のバーで、資本主義や、世間や、権威に文句を言いながら生きていくこともできますが、それが寂しいと感じるならやはり評価の世界に身を置かなければなりません。

では評価とどう向き合えばいいのか。一つ大事なのは評価の限界を知っておくことだと思います。評価基準は、そうでありたい理想を指標にして表現したものですが、指標にした時点で削ぎ落とした部分がたくさんあります。KPIは理想の一側面でしかありません。 その限界を知った上で、あえて評価されながら、あるべき理想を追うというのが評価との良い付き合い方だろうと思います。

最終的に、自分の人生を評価するのは自分です。評価を超えるには、自分なりの理想、自分なりの評価軸を持たなければなりません。「この基準で自分の人生を評価する」が決まった人は人生に迷いがなくなります。

大人になって一番苦しむのが、ずっと評価者を意識して評価されるように振る舞ってきたので、評価がない空間では何に向かって生きていいかわからない、というパターンです。 そんな時に私は夢中を進めます。少なくとも夢中の瞬間には評価者が不在になります。


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