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青春という概念

日本のスポーツ環境を深く理解するには「青春」という概念を知る必要があるのではないかと考えています。青春はもちろんどの国にもありますが、日本の青春は
・一つに賭けて燃え尽きる
・青春時代は替え難い神聖なもの
が強調されているという点で、他の国とは違いがあると私は考えています。

例えば高校時代の三年間で燃え尽きるということが少年漫画では強調されますし、あの三年間を懸命に生きている姿は美しいと大人も感動します。そうして日本のスポーツは強くなってきました。陸上競技では日本の高校生が持つ記録は米国の大学のスカラシップを簡単に獲得できるほどレベルが高いです。一方、シニアレベルではなかなか勝負が難しくなります。

青春時代に燃え尽きるほど頑張った経験が次に生きるんだと言われます。確かにそれはあると思います。ただ私は青春時代に何かに夢中で打ち込んだ経験が大事なだけで、燃え尽きることが大事なわけではないと思います。日本では燃え尽きるところまでいかないと「青春が完了した気がしない」ところがあります。日本は3,40代で仕事への意欲が低下し、学習意欲も低く社会人が自分の学びに使う時間が少ないというデータが出ています。一方、中高生の学力の低下が問題視されますが、それでもOECDでは上位に位置しています。これらを整理すると中高までは高い意欲で学ぶものの、20代に入ってから学ぶ意欲も、仕事への意欲も低下し続けているのが日本だと言えると思います。

高校時代に力を出し切ることも大事ではありますが、本当に力を出し切らなければならないのはむしろ卒業してからの50年間です。いえ、100年時代ですから70年間かもしれません。変化も激しい現代において70年間を学び続け、変わり続け、楽しみ続ける第一歩としての高校三年間です。燃え尽きるなんてとんでもなくて、その後の長さを考えるとウォームアップぐらいだと思います。

ぼーと青春時代を過ごすよりいいじゃないかという意見もあります。私もそう思います。何かに熱中し夢中になることは良いことだという前提で、燃え尽きるほど加熱することの弊害を懸念しています。

話は変わり、青春への憧憬には、形になり切っていない未分化な状態に対し日本は強い興味を持つことが影響しているのではないかと私は考察しています。若さや未熟さに対する神聖化と言ってもいいかもしれません。形になる前のもの、カテゴリーに分けられる前のもの、そういったものが日本社会にはあちこちに組み込まれています。新車も新しいマンションもこれほど高い価値をつける国はありませんし、女性アイドルにある種の未熟さを求めるのも特徴的です。

個人的な興味は「未分化」なものへの態度はどこからくるのかですが、こと教育に関しては青春時代を神聖なものとせず、別に40代や70代から青春をしてもいいじゃないかというように、ある年代ごとに「体験すべきこと」を決めすぎない方がいいと思います。私は大阪ガスに新入社員で入りましたが、新入社員用の研修所にサムエルウルマンのこんな詩が掲げられていました。大切な言葉だと思います。

【青春】

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
 
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、

怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、

こう言う様相を青春と言うのだ。
 
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
 
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
 
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、

こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
 
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
 
曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
 
 人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる
 
 人は自信と共に若く  恐怖と共に老ゆる
 
 希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる
 
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
 
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

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