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なぜ私たちはこんなにも不安なのか

人類は安心する情報と不安になる情報があれば不安になる情報に注意が向く傾向を持っています。人類が生きてきた環境では不安な情報を素早く察知できた方が生き残る確率が高かったからです。茂みの向こうでカサカサという音がした時に、その音に不安になりそこから目を離さなかった人間の方が、しばらくして安心してしまった人間よりも生き残りやすかったわけです。その生き残りの子孫であるわけですから、基本的に人類は不安傾向にあると考えて良いと思います。

一方で人類が長年適応したきた、いつ誰が襲ってくるか分からず、いつ仲間に殺されるか分からず(15-20%が戦争で殺されていたというデータも)、常にカロリーが不足している野生の環境とは、現代社会は大きく違っています。特に

①現代社会の環境は複雑なので不安になっても危険とは限らない。一方、逆も然り。
②情報の量が莫大に増えていること
③情報を扱う産業ができたこと

という点で大きく異なります。

情報があまりにも多いために、何も考えないでおくと不安を感じる情報にばかり私たちの注意は引きつけられます。昔と違う点は、不安を感じさせる情報源が無制限に出てくることです。つまり以前は茂みのカサカサとした音への不安はその場を離れて群の中に戻ればある程度落ち着いたわけですが、スマートフォンは24時間どこにいても情報を追いかけられるために自分を止めない限り終わることができないわけです。

昔とは違い情報を扱うメディアという役割も生まれました。メディアのビジネスモデルは大きく分けて二つあります。
A,人々が訪れる場所に広告を載せて広告主から課金するもの
B,顧客から直接課金するもの
です。Bと比較しAは注意を引きつけ続けないと存続できない仕組みになっているので、怒りや不安を扱うインセンティブが働いています。先に説明した通り不安の方が安心や幸福よりも注意を引きつけやすいからです。一方定額で直接顧客から課金する世界も、ある程度は顧客の注意を引きつける必要はありますが長期的にお金を支払ってもらうためには一貫性や信用も重要になるために、やや抑制的な姿勢になります。

このように定額課金の世界と、無料で広告が流れる世界では、かなり違ってしまっています。ほとんど同じ環境に暮らしながら、ただ情報源が違うだけでその日の気分まで違っているわけです。この情報の違いが、世間の分断を助長している側面もあるのではないでしょうか。

不安は私たちの生存確率を高めましたが、幸せにしてくれたわけではありません。そして昔ほどの危険は現代社会からは無くなりました。そうなるとこの不安に優先して着目する性質が幸福感を阻むという厄介なことが起きてしまいます。不安と幸福は、どうしても逆相関する傾向にあるからです。「適切に恐れましょう」というのはまさに正しいですが、恐れの範囲と対象をコントロールすることはなかなかに難しいことです。不安と恐れとの向き合い方を学習することが幸福になる上では重要だと感じています。

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