正義に染まった集団はなぜ自分たちの姿が見えないのか
長文ファンの皆様おはようございます。
なぜ正義の集団は自分たちの姿が見えにくのでしょうか。
「自分を知る」のが大事と言いますが、実際には二つの方向があります。 「私が何をしたいか知っている」
「私がどう見られているか知っている」
です。
両者は相関するどころか、関係なく動きます。むしろ逆相関すらありえる。自分が何をしたいか知っていて、どう見られているか知らない人は、うまくいけば無邪気ですが、独善になる傾向にもあります。もちろん正しいことをなすことは大事ですし、バランスを取ることも大事です。ここで挙げている例は、周囲からのフィードバックが入らなくなってしまった場合です。自分がどう見えているか顧みなければ、修正できません。
このタイプが成功した場合(成功することも多いと考えています)、権力に合わせて自分を変えられず、ハラスメント的になったりします。
自分がどう見えているかを知ることは、相手の見抜く力に比例して深まっていきます。奥まで見る人の前では隠しても隠しきれません。そうなると自分の本性を認識しておく必要があるのだと思います。
正義は立っている場所を忘れることで成立します。立っている場所を疑えば正義など相対的だということがわかります。その点において、正義の集団は常に「自分がどう見られているか」には無頓着になるといえます。
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