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早熟型の辛さ※昔の連続ツイートです

質問でどうして早熟型の僕が生き残れたと思いますかというのがあって今日はそれの返答。あまり知られていないのだけれど、陸上で中学チャンピオンでオリンピックに出た人はかなり少ない。僕とそれから女子に一人、記憶ではそれ位だと思う。小学校中学校で抜きん出た子はかなりの確率で追い抜かれる。

ある雑誌の表紙を飾ると次は調子が悪くなるという話がアメリカであったのだけれど、3割打つのが本来の実力のバッターがその月にたまたま3割5分打って表紙を飾る。翌月には実力通りの3割とか2割台に戻るだけなのが、調子が落ちたように見える。それがジンクスになった。

早熟型ってのも似た所があって、人生を振り返るとその時期がたまたま突出していただけなのに、当時はまるで全く別の次元の実力があるかのように感じる。もちろん本当に別次元の実力を持っている事もあるのだけれど、多くの場合の早熟型は成長の先取りをしているからいずれ後発に追いつかれる。

早熟型がこじれるのは、期待値を下げられない所にあって、周囲も自分自身も成長曲線を早熟時代の延長線上に見ているから、本当は結構いい線いっていても、成長がにぶったとか、停滞していると感じて焦る。焦って無理をして、それで本当にモチベーションや体を壊してしまったりする。

同じ努力をしていても、逃げるのは追いかけるより何倍もつかれる。勝てたら儲けものと思うチャレンジャーに対して、負けてはいけないという重圧を抱えながら戦わないといけない。それに早熟型は転落や失敗の経験も少なくて失敗した時周囲の失望も大きいから余計に冒険が怖くなって変化しにくい。

だから早熟型は疲れる。周囲の期待に応える事に疲れ、失敗を避ける事に疲れ、追いかけられる事に疲れ、そして何より早熟という現実を見る事に疲れる。人はあの子は違うと思っているけれど、本当はたまたまその時期抜きん出ただけだと人に言いたくても言えない、自分自身にも言えない。

【まとめ】だからあんまり早く実力を発揮して抜きん出るのもそれはそれで辛い。でももちろん早熟型も悪い事ばっかりではなくていい事もあって、僕はそれが運良くうまくいって生き残ったのだけれど、それは明日の話にします。

早熟型の辛い所は、自分の伸び悩みを努力のせいだと思って自分を責めてしまう所。身長が伸びない事を責めるようなものなのだけれど、そういってあげられる人がいない。器を拡大する競争の次は器の中身を効率化する競争に入るだけなのだけれど、それは日本では逃げと言われるから特に辛い。

おはようございます。今日は【早熟な競技人生の過ごし方】について

僕は典型的な早熟型で、中学校の時点で身長体重がほとんど止まってしまった。身体能力もその後あまり高まらなかったから高校位から普通にやっていると追いつかれるという焦りがすごくあって、考える事しか勝負できる所が無かったから、どうやったら勝てるかをずっと考えていた。

早熟型は自然には成長しにくいから、人と同じ事をしていると追い抜かれる。練習はどれだけそれを理解してポイントを抑えて意識できるかで練習効果がかなり違う。量が拡大で伸びている間は人は練習の意味をそれほど考えたりはしないから、一つ一つの意味を知るのにトレーニングに関する本を読みまくった。

それから期待が大きい事もあって、周囲も自分も、型にはめて完成させようとしがちだけど、それが伸びどまりの大きな原因になりうる。だから早熟型は今の状況に自分を最適化せず、変化の余地を残しておく、つまり遊びを作っておくのが大事。早熟型の多くは昔の最適化した形から抜け出られなくなっている。

早熟型は、同じ事をやっても伸びないし追い抜かれていく焦りや屈辱感から、モチベーションが切れてしまいがち。わかっていても期待を無視できないし、責めたくても守ってしまう。守りは楽しくない。義務は楽しんでいる人には勝てないから、どうやって楽しむか、楽しみを見つけるか。

考える事、変化する事、楽しむ事。これが早熟型で大事な事だと僕は思うけど、これを意識的にやるには結局自分を知るしかなくて、つまり内省を避けては通れない。早熟型はつまり早熟なのだから、伸びなくなった時点で戦う為には、つまり大人にならなざるをえなくなる。

わかっていても、変化できないし、考えられないし、楽しめないのは、結局の所恐れからくる。だから早熟型が一番戦わなければいけない相手は、失望への恐れ、現実を見る事への恐れ、などの恐れ。つまり本当の意味で”今”を受け入れられるかどうかが早熟型の将来を決めている。

【まとめ】本当はこうなるはずだった自分と、現実にはこんなものでしかない自分がいて、過去なんてかなぐり捨てたいけれどそれが怖くてできない自分がいる。早熟型が生き残るにはそういう自分の恐れと対峙せざるをえないのだけれど、その話はまた明日に。

おはようございます。今日は【早熟な僕が向き合ったもの】について。

恐れと対峙するってのは現実を認める作業で、大体早熟型が苦しい時には、現実の自分と、こうありたい自分、それから周囲のこうだろうという自分が、ずれている。現実の自分はこれなんだからこれでいしくしかないとなればいいのだけれど、これがことの外怖い。

例えば外国人と二人だけだと英語が結構しゃべれても、周囲に日本人がいるとしゃべれなくなったりする。人にだめなやつだと思われたらどうしようと思ってプレッシャーがかかるから。そう見せたい自分と、実際の自分がずれると、恐れが生まれ、恐れがパフォーマンスを低下させる。

期待ってのは株価みたいなもので、過去のパフォーマンスの延長線上から予想された現在の自分。早熟型が前期の決算がたまたますこぶるよかった会社みたいなもので、どうやっても今期の成績は落ちてしまう。そこで無理をせず地に足をつければいいのだけれど、過去を引っ張る事が今をおかしくする。

楽しくなくなる事もこの辺りにあって、今の自分として力を出し切るという事に意識が置ければ満足感もあるし自信もつくのだけれど、過去と今の自分を比較していると、どうしても自責感と焦りが湧いてきて、満足できない。自分を褒められないから、自信がつかなくて辛くなる。

だから僕にとって自分と向き合うというのは、言ってみれば生まれ変わると言う事で、過去と決別して今を受け入れるという事だった。と、こんなに偉そうに言っていても15歳位からずっとこういう事の繰り返して、過去にしがみついて守りに入ろうとする自分をその都度断ち切るように今もしている。

人がどうして現実を受け入れるのを怖がるかというと、今の自分に心底では失望しているから。こんなはずじゃなかった、今の人生は失敗だと思っているから、それを恐れて過去に逃避する。だから深く行けば自己肯定感と繋がるのだけれど、そこ迄行かなくても今の自分を許す事と現実を見る事は関係している。

多かれ少なかれ人生は思い通りにならなくて、でも人は自分しか生きる事ができないのだから自分を引き受けて今を生きるしか無い。こういう人生が成功だというモデルを強く持っている人であればあるほど自分を責める。人生に成功と失敗があるというモデルを捨てて、今を生きる事が生まれ変わるという事。

【まとめ】昔の自分はもういない。今の自分しか自分じゃないのだから、今の自分にできる事をやる。結果は努力ではコントロールできない所もあるけれど、姿勢は自分の意志でコントロールできる。観点を過去との比較ではなくて、今の自分の力の発揮に置き変える事が早熟型には大事だと、僕は思う。

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