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男性と力

男性にとっての行動原理を見てみると力が背景にあるように見えます。力を行使したい、力が欲しい、力を持っていると思われたい、といった憧れが強くあります。これは裏返すと恐れでもあります。「あの人は力がない」は男性にとって驚くほど恐れを引き出す言葉です。

私自身の競技時代や現在の行動を振り返っても、力があると感じられるかどうかで随分自信が変化しました。力があれば自信があり、力がないと何か不安に駆られるといった具合にです。力を行使しなくてもしようと思えばできるという状態だと安心をします。

男性が憧れる力は、進化のプロセスで生存に有利なものだったの引き継がれたのだろうと思います。最近はボノボの研究や、過去の遺産の発掘から、想像しているよりも協調し共感しながら運営していた社会もあった可能性が示唆されています。

少年漫画でも怒りという感情は自分の殻を破るときや敵を打ち破るときによく出てきました。反対に悲しみや恐れは負の感情として描かれます。男性の社会では怒りという感情が奨励されています。

自分自身に十分な力がないと気づいた場合自信が失われ、その後屈折した感情とどこかで折り合う必要があります。私自身、この折り合いがうまくいかなくなり感情のコントロールで苦しむことがよくありました。

自分には十分な力があるということを認識し安心するために、弱者と思わしき存在に怒りが向かうことがあります。痴漢をする男性のうち3割は勃起していない背景を考察すると、屈折した力への渇望が背景にあるように見えます。このような加害男性の一定数はどこかに被害者意識を持っていると言われています。

十分な力を個人では持ち得ない人が、グループに力の拠り所を求めることもあります。私には力がないが、そのグループは力を持っていて私はその一員であるということに助けを求めるわけです。力に憧れていながら、自分個人だけでは不安を感じると男性は群れます。

自分自身の人生を振り返ると、まず力への憧れがあり、力がない自分への恐れや力に抑圧されることへの怒りが生まれ、力を獲得しようとする努力があり、打ち勝って力を手に入れたことへの承認と快感があり、その後力の増減に自信が依存する、というプロセスだったように思います。未だに自分に力がなかったり、自分を越える力を前にしたとき心がざわつきます。

安全保障は力の世界です。だから身を守るために力を信じるのはおそらく揺らがないと思います。しかしながら、力を獲得できている男性は力を行使し、獲得できていない男性は力に屈折した感情を抱くことから、もう少し解放できないだろうかと思います。

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