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今は林業やってる私が、心身の不調(自律神経失調症?)から抜け出したときのこと

今でこそ早起きして肉体労働する生活が日常であるが、数年前は自分にこんな生活ができるようになるとは夢にも思わなかった。
以下の記事に少し書いたが、大学卒業後に就職した一つ目の会社では、心身の不調を理由に休職していた時期がある。

当時は色々と切羽詰まっていて、何をやるにも暗闇の中にいるような感じで何が正しいか全く分からなかった。だが、少し時間が経った今、ようやく当時を客観的に見ることができるようになってきた。
当時のことをまとめてみたいと思う。

どんな状況だったか

ざっくりまとめると、以下のような症状が身体に現れていた。
・夜寝付けない
・めまい、動悸、吐き気でベッドから起きられない
・食欲がなくなりご飯が食べられない
・やたらと物を落としてしまう
・些細なことで泣く
・判断力が落ちて些細な事が決められない etc.

原因は一概に言えないが、おそらく仕事のストレスが大きかったと思う。
会社は主に地方自治体に向けたコンサルティングを行っており、地方出張が多く不規則な生活リズムや、組織のお偉いさんをはじめ多方面と連絡・調整しなければいけない仕事内容は私にとって負担が大きかった。これらは今になって言えることで、当時はこれらをこなす上司や同僚の前で弱音を吐けなかったし、できないのは自分の努力が足りないからだと思っていた。
もちろん、会社がやっている仕事自体は社会にとって必要なことであったし、会社の人たちには本当に良くしてもらっていて、今でも連絡を取る関係にある。

だが、前述した症状が酷くなってくると会社に行くこと自体も難しくなり、上司と相談した上で休職という形を取ることになった。
休職にあたって医師の診断書が必要だったので、心療内科に相談に行くと、(発達障害の一つである)ADHDのチェックシートと問診が行われ、「この程度の症状では(うつ病など)病名はつけられない。ADHDで書くけど良い?」と言われた。私は「良いとか悪いとか聞かれても……私が決めて良いの?」と思ったが、後が無かったので了承した。

ちなみに、前述した症状で調べると「自律神経失調症」という言葉が出てくる。その名の通り、自律神経の乱れからくる様々な不調のことを指す(詳しいことは調べてみてね)。医学的に正式な病名ではないため、診断書には書けないらしい。

病院を変える気力も無かったので、その後も同じ心療内科に通い続けたが、毎回、同じような問診と同じ薬を処方されるのみだった。少し時間が経った後、「病院に頼るだけでは良くならないのかもしれない」と思い始めた。

何をしたか

休職中にやっていたことを順番に記していく。

〇すごい寝た
まず、これでもかというくらい寝た。最初は寝続けることに後ろめたさや罪悪感があったが、「精神的な不調も身体の不調と同じではないか。脚を痛めている人に走れという人はいないし、熱がある人に動けという人もいない。まずは無理しないで回復を待とう。」と考えるようになった。起き上がれない日は起き上がれるようになるまで寝る。こうしているうちにだんだん活動できる時間も増えていった。

〇色んな人と話をした
精神疾患を経験したことがある知人や、なんでも話せる友人に連絡を取り、話をするようにした。一人でいるととにかく気が滅入るし、考えがネガティブになったためだ。精神疾患を経験した方からはその乗り越え方も聞くことができ、後述する認知療法についても教えてもらった。

〇適度な運動をした
動ける日は一日8,000歩を目標に歩くことにした。歩くことが精神的に良いということが調べて分かったためである。また、ラジオ体操の習慣をつけたり、ヨーガを行ったりもした。ヨーガ教室を行っている知人に相談し、家でもできるプログラムを考えてもらったりもした。

〇認知療法
認知療法というものを調べ、「心が晴れるノート」という本を買って取り組んだ。

認知療法とは精神療法の一つで、ものの見方や現実の受け取り方(認知)に働きかけ、心理的なストレスを軽くしていく治療法である。この本は、読み進めることで一人でも認知療法に取り組むことができる。なかなか時間と体力を使うので、休職中で時間があることがありがたかった。本来はカウンセラーなど本業の方と一緒に取り組む方が良いと思う。
この本に取り組むことを通して、自分の中の偏った考え方やものの見方を自覚することができ、極端なマイナス思考や自己肯定感の低さも改善されたように思う。

〇ストレスの言語化・対策
以前の記事でも書いたが、休職中は「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本にも取り組んでいた

その本に載っているワークの一つ「モーニングノート」に取り組む中で、自分のストレスの原因についても言語化が進んでいった。
当時の自分は、仕事に取り組む中で「自分に何か身についている感覚が無いこと(その状態でお客さんから対価をいただいていること)」、それに伴い「今の仕事を続けても将来のビジョンが見えないこと」が不安になってることが分かってきた。
会社がやっていることは社会に役立つことだし、必要なことだとは分かっていたが、どうも一生懸命やっても自分に何かが身についている感覚が無く、お客さんの役に立っている感じもしない。それでも年数は経つので任される仕事が増えて責任も増してくる。そういったことが、自分にとって大きな負担になっていたようだ。
身体を動かす仕事がしたいという思いも合わさり、分かりやすく技術が身につけられる林業大学校へ行くことを決めた。自分で何かを決めるのが負担だったので、プログラムが決まっていて、かつちゃんと通えば資格も揃えられる林業大学校は私にとって都合が良かった。
「林業大学校に行く」と決めてから、また体調が安定したように思う。目先のことでも、何か一つ決めてそれに動くことが当時の私にとって重要だった。

以上のことに取り組み、体調は多少良くなり休職期間は半年程度で済んだ。「半年程度で済んで良かった」とは今となって言えることで、当時はどれだけこの生活が続くか分からず、本当に怖かった。会社に迷惑をかけ続けている感覚があったし、仕事をしていないと自分に価値が無いように感じた。
その後、会社を退職し林業大学校へ通い始めたが、体調は全快という訳ではなく、年に数回、早退や休みをもらった。林業大学校を卒業し働きだしても、年に数回は調子が悪いことがあったし、そのたびに「またあの生活に戻ったらどうしよう……」という不安に駆られていた。
最近はほぼそのような不調は無く、割と穏やかに生活できている。休職期間が明けてから3年経ってようやくである。

また、振り返って感じるのは、私は本当に人に恵まれたということ。本当にグズグズの状態だった私の話を聞いてくれて助けてくれた人達には、今でも頭が上がらない。

最近思うこと

月並みであるが、この経験を経て感じるのは「どれだけ頑張っても自分にできないことはある」「合わない環境を変えことは悪いことじゃない」「つまづいてもやり直せる」ということである。
どれも陳腐な言葉だが、本当にそう思う。

先日、知人の山でカタクリの芽を見せてもらった(写真は無い)。
カタクリは芽吹きから花を咲かせるまで8年程度(!)かかる植物である。春先に芽を出し、樹木が葉を茂らせるまでのわずかな期間で光合成をし、夏前に地上部は枯れてしまう。そうして地下部に栄養を蓄え、数年かかって花を咲かせる。
他の生き物の文脈で見るとまるで訳が分からないかもしれないが、カタクリはこの戦略で生き延び、繁栄してきたのである。
人間も、もっとこのくらいで良くない?と私は思う。冬に葉を落とす落葉樹を見て「こいつらは夏しか光合成しないのにこんなに大きいんだよな。人間も1年中働く必要なくない?」とか、林床に茂るアオキを見て「別に樹高が高いだけが植物として優秀な訳じゃないよな」と感じる。
私の見ている世界は、たくさん働けて向上心があって生産性が高い人間が優秀とされる。そうでない人は落第生の烙印を押されるかのよう。でもカタクリに樹木の文脈で話をしても意味がないように、全員にその文脈を押し付けなくても良くない?と思うのである。訳が分からないように見えても、当の本人には筋が通っていたりするのである。

自分自身は稀有な例だと自覚しているが、同じような状況で悩んでいる人になにか届けば良いなと思って書いた。

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