少女a・矢沢永吉のインフルエンス…社会的救済。

〜目次〜

A[前提・エピソード]
<1、食堂にて>
<2、xさんとの対話>
<3、xさんの自己開示>

B[課題設定]
<吉田の思い…もとヤンキーと精神障害者との融和?>
<命題…ヤンキーは仲間尊重?>

C[根拠、ヤンキー・矢沢]

D[まとめ、ヤンキーの社会パワー論] 

・ここから本文

A[前提・エピソード]

[前提1、食堂にて]

障害者ホームは夕暮れ時。心の温かかった一日もようやく終わりを告げる。

ここは、障害者ホーム・ダイニングルーム。部屋の中央には4人掛けのテーブルが2つ並ぶ。

このホームの総構成員数は10名。障害者メンバー6名、スタッフ4名からなる。

みな、それぞれがそれなりに楽しくやっている。とても快活な仲間たちだ。

今日の晩ご飯のメニューは中華丼とマカロニサラダ。ホクホクの熱いゴハンに冷たい麦茶をぶっかけて一気に口にかき込んだ。大型で濃緑色のどんぶり茶碗が好きだ。

[前提2、xさんとの対話]

そして今晩の当直は美魔女xさん。社会的なそして生活上のハンディを持つ私達障害者を、温かくきめ細かく、そして丁寧に肯定してくれる。そんな優しくて上品な女性だった。

[前提3、xさんの自己開示]

先日彼女は、私を威嚇するかのような言葉を放った…。  
「私、昔は本当に怖かったの。」
そう言って「美しい女性」が写る、一枚の写真を私に見せた。若かりし日の彼女の写真だった。

私は大切な彼女の思い出を最大限に尊重したかった。しかし一方で、そこに写る彼女には似つかわしくない、彼女を飾る派手で不自然な衣類とアクセサリーに、私は少々戸惑った。

その時xさんは明言はしなかったが、明らかに彼女は元ヤンキーだった。露骨でスマートでない開示であった。

最近xスタッフは、生活の部分部分の中で私たち障害者メンバーに(私だけに?)あるメッセージを投げかけていた。挑発されているようで、正直にいうと物凄く気分が悪かった。

確かに精神障害者もヤンキーも社会のマイノリティーだ。しかし精神障害者は「行為無能力者(社会的ハンディ…)」であり、ヤンキーはあくまでもアウトロー(=無法者・ならず者)であるという、明確な線引きがある。

「車を飛ばしてドラッグストアに突っ込んだのよ。」
「そう、ヒョウ柄いいでしょ。」
 彼女との会話に、私はイライラした。

追記)その後仲良く(1ヶ月後)やってます。ホーム(>共同生活ホーム)であっても、ここは家庭とはちょっと違う。xさんは真っ直ぐでとても厳しい人です。

<命題…ヤンキーは仲間尊重?!>

語句)命題:「AはBである。」という判断内容。

<前提>
・ヤンキーとは???(定義)
:不良行為的な志向をもつ少年少女を指す俗語。
:管理教育などへの反抗を掲げて、校内暴力などの問題を起こす者達。

・追記
>他人を押し倒しても自分は譲らない…いわゆる「有害な男らしさ」が美化される(…ネガティブな一面)。

C、[一方で肯定的な一面、<根拠>ヤンキー矢沢]

=>ヤンキー達の熱狂的な支持。
=>矢沢人気を中心に据えた、ヤンキー群の強い結束。
=>矢沢は音楽活動と並行して不良少年が逃げ込める、共同体・コミュニティ確立を誰よりも真っ先に引き受けた。

D、[まとめ]

矢沢の時代。日本は高度成長期。その中で一般庶民が這い上がる手段。それは社会変革ではなくビジネス活動であった。

彼の自伝的著作「成り上がり」の中で、その内容が「内面の告白」という文学調のものではなく、自己啓発調の内容であったことからもそれは理解できる。

当時、ヤンキー文化は日本社会を担う、若者発のナショナル・パワーであったのである。

                 了 





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