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人生はいろいろあるけれど、世界は「不幸」の予感や可能性で満ちているけれど、大丈夫。──嶋津輝『襷がけの二人』(文藝春秋)と『駐車場のねこ』(文春文庫)

 滋味たっぷりな人情噺を詰め込んだ、オール讀物新人賞受賞作を含む短編集『スナック墓場』(文庫化に当たり『駐車場のねこ』と改題)で二〇一九年にデビューした、嶋津輝。待望の第二作にして初長編『襷がけの二人』は、四半世紀に及ぶ女二人の運命の物語だ。

 冒頭の一章「再会 昭和二十四年(一九四九年)」で描かれるのは、鈴木千代が住み込みの女中の職を得る姿だ。独り住まいをしている三味線のお師匠さん・三村初衣は、目が見えない。口入屋も紹介をためらっていたのだが、〈千代は三村初衣という名を見た瞬間に心を決めていた〉。根津愛染町にある初衣の家で働き始めた千代は、ガラガラ声の持ち主だ。東京大空襲の夜に、ある人の名を叫び続けたことで喉を潰してしまったのだ。その名が雇い主の初衣であることを想起させる文章が連なっていった先で、二人の関係にまつわる決定的な一文が現れる。〈かつては、千代が雇い主で、初衣が女中だった──〉。

 続く「嫁入 大正十五年(一九二六年)」の章では、製缶会社を経営する山田家の一人息子・茂一郎の元へ一九歳で嫁入りした千代と、当時は目が見えていた気風のいい女中頭・初衣との出会いが語られる。その後は章ごとに数年ジャンプしながら、千代と初衣の関係の変化を追いかけていく。二人は雇い主と女中という立場でありながら、家事においては立場逆転の師弟であり、歳の離れた友人同士にも見える。そして、それ以上の何か。

 とにかく、文章が素晴らしい。料理の描写の際に「料る」という一語を採用している点からも、幸田文や向田邦子に対する親愛の情が伝わってくる。いい文章で写し取りさえすれば、普通の暮らしや人生もこんなふうに輝いて見えるのだ。そう思っていたから、千代が夫からセックスレスになった原因を告げられる場面であっと声が出た。男女間の体が合う・合わないの問題を、このような切実さで表現しようとは。ノイローゼで眠れなくなった千代に対して、初衣が語り出したとんでもエピソードも秀逸だ。二人は至って真面目に人生の蹉跌について告白しているのだが、どこか笑えるのだ。誰にも語れなかったことを語り合う経験は、二人の関係を深化させることにも繋がっていく。

 最終章の多幸感は、痺れに痺れた。何しろ、この世界が明るいものと感じるか暗いものと感じるかは「私の心持ちひとつ」だというのだから。そして、希望は今この時の中にある。「だって、生きているんですもの」。他の人に言われたら嘘臭く感じられるかもしれないことも、この二人に言われるのならば信じることができる。人生はいろいろあるけれど、大丈夫。千代と初衣の運命を追いかけた読者はきっと、そう思うことだろう。(小説すばる2023年10月号掲載)

 二編目を読み終えたあたりで予感がよぎり、三編目を読み始めた瞬間、確信した。これって全編、登場人物のことが愛おしくってたまらなくなるやつじゃん! 『スナック墓場』(文藝春秋)は、収録作「姉といもうと」で第九十六回オール讀物新人賞を受賞した嶋津輝のデビュー短編集だ。

 全七編の主人公たちはみな、非正規雇用者または自営業者で、厳しい労働環境を生きている。例えば第一編「ラインのふたり」は、倉庫内軽作業――ベルトコンベアで流れてくる物品の組み立てや梱包の仕事を、週払いで請け負っている中年女性ふたりが主人公。ふたりはなぜこの仕事をやっているのか。連帯を築いたのはなぜか? しんどい現実もスケッチされるが、ふたりの軽口がカラッとたくましく、彼女達を「不幸」と捉えるような想像力をキャンセルさせる。新たな連帯が芽生えるラストシーンは、快感の極み。「女の敵は女」という粗雑なロジックを、やすやすと打破してくれる。

 夫婦でほそぼそと営むクリーニング店、家政婦として働く姉とラブホテルのカウンターで働く指のない妹、野良猫をきっかけにお向かいのふぐ屋が気になり出した布団屋、安いが具が少なすぎる弁当屋の母娘、精神障害のあるアラオさんを見守る商店街のチームワーク、客が次々死んでいく場末のスナック……。「不幸」の到来をくすぐりながらキャンセルさせる展開は、全ての短編において健在だ。それこそが、本書において作家が選んだリアリティなのだ。世界は確かに、「不幸」の予感や可能性で満ちている。でも、現実はこんなふうに、意外と大丈夫だ。(小説新潮2019年10月号掲載の書評コラムより抜粋)

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