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【書評】隣人を愛するにせよ恐れるにせよ──ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』と一穂ミチ『スモールワールズ』


1.

 社会史を振り返ってみると、隣人愛と隣人恐怖が、時代ごとにムーブメントを起こしていることに気付く。前世紀末はオウム真理教の事件を受けて隣人恐怖が蔓延し、東日本大震災以降は少しずつ隣人愛が回復していったかに思われたが、新型コロナウイルスの流行を経た現在は、全世界的に隣人恐怖のフェーズに入っている。だが——それまでの人生で出会うはずのなかった人と出会い、好きになること。その人との語らいを通して、新しい価値観を手に入れること。いつの時代も何歳になっても、未知なる他者との出会いには意義がある。

 アメリカ人の映画監督であり小説家のミランダ・ジュライは、一風変わったやり方で隣人たちとの出会いを重ね、その結果を著書『あなたを選んでくれるもの』に記録した。

 ロサンゼルスで夫と暮らす彼女は2009年のある日、新作映画の脚本を書きあぐねていた反動で、フィクションを飛び出しリアルな人生に触れたいと渇望する。手に取ったのは無料のミニコミ誌・ペニーセイバーだ。そこには「Lサイズの黒皮ジャケット 10ドル」「ウシガエルのオタマジャクシ 1匹2ドル50セント」「写真アルバム 1冊10ドル」など、買い手を募るさまざまな個人広告が掲載されていた。いったいどんな人が、どんな思いでこれらの品々を売りに出しているのか? 売り主に電話し、直接会ってみることにしたのだ。彼らの家で、彼らの人生について話を聞いた。

 ミランダは、出会った人々の全てを「好き」になったわけではない。知らず知らずのうちに目の前の人物の闇に触れ、恐怖を感じる場面も余すことなく綴っている。しかし、出会いのすべてには意味があった。隣人には隣人の人生があり、どれも唯一無二の個性を放つ、ということを彼女は学び、彼女自身の人生に反映させた。そして、過去や若さを過剰に高く見積もり、未来に不安を抱きがちな自分を、変えた。“残りの人生は小銭(ペニー)なんかじゃない”。

 隣人への愛と敬意、学びは、他ならぬ自分自身への愛と敬意に繋がる。新型コロナの流行が始まった頃、真っ先に思い出したのはこの本だった。身動きが不自由ならばなおさら、本を読むことで、未知なる隣人と出会っていたい。

2.

 BL界で年間ランキング一位を凪良ゆうと分け合ってきた一穂ミチが、一般文芸では初の単行本となる短編集『スモールワールズ』を刊行した。男性同士の恋愛を描く中で育んできたであろう、社会的マイノリティの人々に対する世間のラベリングを剥がし、個としての実存を見つめる視線が、老若男女に拡張されている。しかも収録作「ピクニック」は現在、日本推理作家協会賞短編部門にノミネート中。ミステリーとしても逸品揃いだ。

 それまでかけ離れた場所で暮らし、異なる価値観を持った個と個が出会う、場面作りがどの短編も絶妙だ。例えば第一編「ネオンテトラ」は、不妊症と夫の不倫に悩む三〇代半ばの美和が、夜のコンビニのイートインスペースで、自身を苛む両親がいる家から避難してきた中学生の男子と出会う。<夜のコンビニは、水槽に似ている>。地上の生物であるはずの二人は、その中でだけは、不思議と無理なく呼吸ができるのだ。しかし、始まりはストレートな人間ドラマだったはずが、ある時点でミステリーへとガラッと変貌する。人は誰かと出会うことで、自らが抱えた「謎」の存在を再認識し、あるいは相手の「謎」を表に引っ張り出すことになるのだろう。人間ドラマとミステリーが当たり前に融合している感触は、この著者のカラーだ。

 社会的ラベリングが剥がされた個を描くということは、私の幸せは世間ではなく自分が決める、という姿を描くということ。そのことに最も自覚的な登場人物が現れるのは、往復書簡形式で綴られた第四編「花うた」だろう。二〇代半ばの看護師・深雪は、兄を人混みで突き飛ばして死なせ、刑務所に入所した加害者の青年・秋生と手紙のやり取りを始める。被害者家族と加害者という関係性が少しずつ、名前の付けられない関係性へと移行するプロセスがスリリングでたまらない。その果てに、主人公のある決断が描かれる。予想の範囲内だった、と感じる人はいるかもしれない。しかし、そこに現れる感情の質感は正真正銘、今まで誰も見たことがないものだ。

 全六編にはいずれも、本音をできるだけ飲み込み、嘘を通してしか自分の本当の気持ちを伝えられない、不器用な隣人たちの姿があった。本書のタイトルである「小さな世界(たち)」が指しているのは、登場人物一人一人だ。一人の人間の内面は、それ自体を世界と称しても構わないぐらい、大きくて広い。だからこそ隣人に対して恐怖も生まれるが、同時に好奇心も生まれ、もっと理解したいと踏み込む決意をしたらならば、愛が生まれる。

 恐れるにせよ愛するにせよ、隣人に対する想像力の解像度を上げることには、意義がある。なぜならそれは、「世界を広げる」ことと同義だからだ。

※1は「Fino」2020年7月号、2は「小説すばる」2021年6月号掲載。

※隣人恐怖と隣人愛という他者に対する二つの態度は、社会学者の菅野仁が著書『友だち幻想 人と人の<つながり>を考える』で示した、「他者の二重性」という議論とクロスしていくように思います。つまり──「『脅威の源泉』としての他者」と「『生のあじわいの源泉』としての他者」。

※https://www.shinchosha.co.jp/book/590119/。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000348753。



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