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【書評】 2022年のミステリー界を代表する俊英の2作──夕木春央『方舟』と白井智之『名探偵のいけにえ─人民教会殺人事件─』

小説すばる2022年10月号、11月号掲載。

1.
「最大多数の最大幸福」にまつわるトロッコ問題をデスゲームの極限状況で展開した本格ミステリー──夕木春央『方舟』(講談社)

 
メフィスト賞受賞のデビュー作『絞首商会』、続く『サーカスから来た執達吏』と、大正時代を舞台に江戸川乱歩パスティーシュなミステリーを発表してきた、夕木春央。作風をがらっと一変させた第三作『方舟』は、現代日本が舞台の本格ミステリーだ。

 柊一(僕)は卒業以来二年ぶりに再会した大学時代の友人らと共に、長野県の山奥にある地下建築へ物見遊山で足を運んだ。地下三階まである客船のようなその施設は、スマホこそ圏外を示しているが、水道と電気は通っており部屋数も豊富で宿泊できる。「一番嫌な死に方って何?」などという会話に花を咲かせていたところ、道に迷った三人連れの親子が施設へやって来る。総勢一〇名は、ここで一泊することを決める。すると、地震が発生し、地下一階の出入り口が転がった大岩で塞がれてしまった。大岩は地下二階の一室にある機械を使えば除去できそうなのだが、その機械を操作する人物は作戦成功と引き換えに、地下二階に閉じ込められてしまい間違いなく死ぬ。その一人は、誰にするか?

 猛烈な勢いで浸水が始まっているため、脱出のタイムリミットはおよそ一週間。それまでに合議で生贄を一人決めよ、これがデスゲームの唯一絶対のルールだ。合議を始めようとした矢先、柊一らをここへ連れてきた元凶となる男が、首を絞められ殺害される。「誰がやったんだ!?」という不安は、時間が経つにつれておぞましい想像に入れ替わっていく。その犯人を、地下二階の一室に向かわせる生贄にすればいい。探偵役がどうしてそこまで執念深く謎を解こうとするのか、という疑念は数多のミステリーが目をつぶりがちなお約束だが、クローズドサークルかつデスゲームな極限状況においては、疑う余地はない。

 この極限状況には、トロッコ問題──多数の命を救うために一人の命を犠牲にすることは正しいか──が重ね合わされている。人はみな「最大多数の最大幸福」を目指すべしとする、功利主義の是非を問う思考実験だ。作中で登場人物たちも議論しているように、「最大多数の最大幸福」の裏には、少数者の犠牲はやむなしとする選別思想が張り付いている。だからこそトロッコ問題は一筋縄ではいかず、答えが出せない。しかし、本作が出現させた極限状況であれば、犯人および犯人を死地に向かわせる人々も含めて、関係者全員納得できる形でトロッコ問題が解決できる。

 そう思っていたから、ラストの展開を前に心が凍った。ネタバレギリギリの言い方をするならば、その展開は「最大多数の最大幸福」というワードを、かつてない言い換えをすることによって実現した。

 トロッコ問題について一度でも考えたことがある全ての人に差し出したい。今年ぶっちぎりの衝撃作だ。

2.
「特殊設定」だからこそ必要となった「多重解決」を描き切る異形のミステリー──白井智之『名探偵のいけにえ─人民教会殺人事件─』(新潮社)

 白井智之は第二作『東京結合人間』刊行時に綾辻行人から「鬼畜系特殊設定パズラー」という称号をゲット、その後も猟奇的かつ悪趣味スレスレな、特殊設定ミステリーを書き続けてきた。最新にして最長長編『名探偵のいけにえ─人民教会殺人事件─』は、自身の作家性を一つ一つ点検したうえで引っ繰り返していくような仕上がりだ。まず驚かされるのは、主人公が常識人であること。

 大塒宗は、東京都中野区に事務所を構える探偵だ。一九七八年の冬、女子大生の助手・有森りり子の消息が途絶えた。実は、りり子はカルト宗教の教祖ジム・ジョーデンを調査するために、中南米にある九〇〇人余りが暮らす宗教コミュニティへ渡っていた。大塒は帰ってこない助手を奪還するため、かの地ジョーデンタウンへと足を運ぶ。主人公の思考回路や人間臭さを伝えつつ、のちの事件への伏線も張り巡らされた見事な導入部だ。

 このジョーデンタウンこそが、本作における「特殊設定」の舞台だ。教祖ジム・ジョーデンは、身体の悩みを解消する力を持っている……と、信じられている。ある信者によればここで暮らすことで顔にできた大きな傷は消え、別の信者によればベトナム戦争で失った両脚は元通りになった。それらの証言を、信者たちはお互いに真実として共有している。しかし、大塒の目からすれば、信者の右頬に大きな傷はあるし、両脚はなかった。教祖による奇蹟という名の共同幻覚により、信者たちの間で認知の歪みが集団発生していたのだ。

 ここは病気も怪我も存在しない、神に守られたユートピア。そんな場所で殺人事件が起きたら、どうなるか。事件に関する信者たちの証言は常に歪んだフィルターを通したものとなり、捜査は難航を余儀なくされる。それ以上の困難は、次の一点にある。全く異なる世界を見ている信者たちと大塒たちが、たった一つの真実を共有することなどできるのか。

 本作は、謎が解決したかと思いきや、その推理を上回る新たな解決が次々現れる、多重解決もののミステリーだ。ともすれば多重解決ものは、陶芸家が気に入らない器をガチャンと床に叩きつけていく姿を目にする時のような、書き手の主観的で過剰な美意識を前にぼんやりさせられてしまうことも多い。しかし、本作における多重解決は、探偵がこの「特殊」な世界において、このアプローチを取らざるをえなかった歴然たる意義がある。

 特殊設定ミステリーや多重解決ものは今後、本作への参照なしには書けないのではないか? さらに感嘆させられたのは、エピローグまで細かいサプライズがぎっしり詰め込まれた、驚異のネタ密度。白井智之を極上のエンターテイナーとして評する、新たな称号を考える時期が来たのかもしれない。

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