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【解説】 松岡圭祐『小説家になって億を稼ごう』(新潮新書)

執筆した巻末解説を全文公開します。本書はめくってドン!で、著者が初めて年収1億円を超えた年の確定申告書が登場。文字通り「億を稼ぐ」ベストセラー作家による、創作&人生論の名著です。

 活字離れ、読書離れが語られようになってもうどれぐらい経つでしょうか。かつて娯楽の王様だった小説はここ数年で一気に他の娯楽にシェアを奪われ、日々の隙間時間はスマホによって潰されました。受け手を増やすことで、現状を改善しようとするアプローチはとうにやり尽くされています。だとしたら、書き手=プレイヤーを増やすしかない。競技人口が増えることによってそのジャンルが盛り上がることは、日本におけるバレーボールやサッカー、あるいはYouTuberの受容史からも明らかです。松岡圭祐はそのアプローチを本書において採用し、小説界へのエントリーを人々に呼びかけました。「ベストセラー作家になれば、億万長者になれる!」というメッセージを力強く掲げることによって。

 この人が語るからこそ、絵空事ではない説得力が宿ります。なにしろ松岡圭祐は二九歳でのデビュー作『催眠』(一九九七年、小学館)がいきなり一〇〇万部越えのミリオンセラーに。稲垣吾郎主演で実写映画化された同作を皮切りに、綾瀬はるか主演でやはり実写映画化と相成った『万能鑑定士Q』シリーズ(二〇一〇年~二〇二〇年、角川文庫)、『千里眼』シリーズ(一九九九年~二〇〇六年、小学館/小学館文庫 二〇〇七年~二〇〇九年、角川文庫)、地上波ゴールデン帯で連続ドラマ化された『探偵の探偵』シリーズ(二〇一四年~二〇一六年、講談社文庫)……など映像化作品も数多い。近年は『黄砂の籠城』(二〇一七年、講談社文庫)を始め歴史小説にも取り組みつつ──個人的なオススメは、戦下の日独映画界を舞台にした『ヒトラーの試写室』(二〇一七年刊、角川文庫)、現在は『高校事変』シリーズ(二〇一九年〜、角川文庫)を二ヶ月に一作のハイペースで世に送り出している、現役バリバリのベストセラー作家なのですから。

 とはいえ横並び上等、出る杭は打つ精神が根深い日本社会において人々は、クリエイターたちの「売れなかった」エピソードは好むものの、いざ「売れた」となれば掌を返します。成功にまつわる事実報告を自慢と受け止め、やっかみを隠さない。特に芸術表現の分野では、カネの話をするのは無粋でなんなら下品、とする傾向もあるでしょう。だからこそ、本書の存在は貴重です。勇気の書、と言ってしまいたい。

 構成は非常に独特です。語り口としては、ベストセラー小説家である著者が、読者である「貴方」に直接語りかけ叱咤激励を施す、コーチング形式が採用されています。全二部構成のうち、「Ⅰ部 小説家になろう」は初心者でも書ける小説の書き方講座、「Ⅱ部 億を稼ごう」はプロ作家として第一線を走り続けるための処世術、といったおもむきです。

 まず驚かされるのは、Ⅰ部で披露される著者ならではの創作術です。世の中に、プロの小説家による指南本は数多く存在します。しかし、本書の根幹に据え置かれたアイデアは、正真正銘、類い稀なるオリジナリティを放っている。なにしろ、誰もが初めて聞く単語が混じっているですから。すなわち──「『想造』せよ!」。

 詳しくは本文にあたっていただきたいのですが、ごく簡単にまとめれば、登場人物のキャラ設定をがっちり固めたうえで、キャラ同士の関係性重視の自由連想によって小説(物語)を生み出す、ということになるでしょうか。読めば誰しもがきっと、このやり方ならば自分にも小説が書ける、と心が躍り出すはずです。小説界復興のために「書き手=プレイヤーを増やす」という著者の思惑は、この一点だけでも実現できている、と言える。

 ところが、本書における創作術の記述は六〇数ページまでで終わっています。本書の真骨頂であり<他の小説指南書とは、かなり内容が違っている>(「はじめに」より)理由は、Ⅰ部の残りとⅡ部全体の記述にあります。

 まず、小説を書きあげた「貴方」はデビューに向けてどう行動すればいいか、具体的に言えば出版社の編集者とどう付き合ったらいいかが記されていきます。例えば、<編集者や校閲スタッフの鉛筆による直しを、批判と受け取らないようにしましょう。それらはより良い作品にするための提言です>。筆者は普段、新人小説家にインタビューする仕事を手がけていますが、このことが最初はわからなかった、不安だったと口にする人は非常に多いです。<担当編集者は敵ではなく味方です>。この一連の文章に触れておくことで、デビュー後の不安は軽減される、と断言できます。

 次に、デビューした後は「売れる」ためにどんな戦略的振る舞いをすればいいか、あるいは「売れない」という事実に直面した際はどんな心得を抱いておくべきか。そして、実際にベストセラー作家となった後はどんな罠や誘惑が待ち構えているのかを、さまざまなケーススタディを挙げてレクチャーしていきます。その過程で、出版業界において広く知られていながらも門外不出となっている慣習が網羅され、さらには実際にベストセラー作家になってみなければ見えない風景、わからない真実が、白日の元に晒されていく。

 松岡は日本推理作家協会七〇周年特別企画「嗜好と文化」のインタビュー(二〇一六年二月更新、https://mainichi.jp/sp/shikou/59/01.html)で、次のように語っていました。<宝くじの高額当選者に対してみずほ銀行(昔の第一勧銀)が作った『その日から読む本』という小冊子を渡して、税金のことなどを教えている。あの作家版みたいなのがあれば本当に助かったと思いますよ。売れてうれしいけど、どの程度羽目を外していいのかわからない。聞けば、翌年にドーンと地方税が来るぞと。そういうのもきちんと教えてくれるような本が必要ですよ。若い作家が江戸川乱歩賞など文学賞を受賞して賞金をもらっても、ワーッと騒いだ後どうなるのか、そのへんをきちんと書いた本がいりますよ>。その五年越しの実現が、本書です。

 先の発言の前後を読むと、松岡自身もベストセラー作家になってすぐの頃は、お金の使い方や映像化・ドラマ化の対応に悩み、右往左往した時期があったようです。であるならば先人としての己の義務は、自身の経験を語るとともに、経験から生じたさまざまな可能性(例えば「異性の編集者に恋心を抱いたら」)をシミュレートしたうえで、記録に残すことにある。これを読めば後世の人間は、未体験ゆえに妄想が膨らんでしまう不安な時間を過ごし、創作とは直接関係のない作家としてのサバイバル術に心を砕く必要が軽減される。アマチュアがやりがちな「取らぬ狸の皮算用」も、バッサリ斬っています。人は「考えなくてもいいこと」を考えてしまうから、悩むし時間も奪われてしまうんです。松岡は本書で「ここは考えなくてもいい」と諭し、あるいは実際に「考えなくてもいい」ように、明確な結論を出してくれている。その結果、何が起こるのか? そう、全ての時間や空想のエネルギーを、創作に回すことができるのです。

 ところで、たとえ『想造』をもとに小説が書けたとしても、それを「ベストセラー小説」にするための具体的な方策は、本書には記されていません。しかし、読み進めるうちにリアリティとして胸に積み重ねっていくのは、おそらく松岡自身が日々「ベストセラー小説」を書いているわけではない、ということです。「面白い小説」を書いたら、それが結果的に「ベストセラー小説」となったのだ、ということ。では、書いたものを「面白い小説」にするためには、どうしたらいいか? その問いに関しては、本書にはっきり答えが書いてあります。「貴方」にしか書けない、「貴方」だけの小説を書くことです。

<人それぞれに個性があり、みな特別な存在です。貴方が『想造』によって紡ぎだした物語は、貴方の性格や経験、知識、嗜好などが結合した、けっして他人には想像しえないものになります。面白くないはずがありません>

 こうしたロジックや、編集者は敵ではないし彼らの言動には必ず何らかの理がある……というくだりに象徴されるように、松岡には極めて大きな人間愛があります。「性善説のリアリスト」と言うべき、この世界に対する書き手のスタンスもまた、本書を通じて学ぶことができる。

 ベストセラー作家になるためのノウハウが記されたスリリングかつ実用的な本でありながら、人生についても学ぶことができる。だからこそ本書は、前代未聞の、かつてない「小説指南書」なのです。

※2021年3月、新潮社刊。https://www.shinchosha.co.jp/book/610899/


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