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洲崎パラダイス

大学生の時に後輩の女の子をつれて北千住のワインと煮込みというキャッチフレーズで、おしゃれな居酒屋に入った。後輩となるとまして20前半で、膝上のスカートは酔ってきた赤ワインの回りも早く、そのまま泊まった。それから温泉がメインの湯河原の温泉宿にいって近くのイタリアンで食事をして、ちょうど海岸で花火があったから見に行った記憶は青春のような酸っぱさがあったし、千葉の山奥の温泉に行った時もほどよく酔ってたのしい思いでしかない。かれこれ10年弱経って性欲のためだけに会うことがあったが、強

    • 微熱

      サブカルというのか、ロリータ系というのか、ある特定のブランドがすきだという彼女も同業で、常磐線の各駅停車が止まる駅を降りて左に曲がって大通りまで進む。突き当りを左に曲がったところにマンションの買った部屋に住んでいた。自分のことをあまり話さずどちらかというと日々の浅い面白いことイラついたことなど、すこし距離のある当たり障りのない内容をいつも楽しげに話しているため、夜が深くなったときに意外とわたしは彼女を詳しく知らないことに気が付いた。大晦日の夜に二人でお大師に向かった。案の定寒

      • 湿地

        部活で知り合った後輩はよく慕ってくれた。とても秀才で群れることは苦手そうだが、群れないことによって嫌われたりにくまれたりはしないであろう容姿と対応をするっとこなす。お茶の水を通る丸ノ内線の茗荷谷駅の前の大きい通りをいくとコンビニがあって、それを目印に谷へと下る。下って右に曲がってある一人暮らしのマンションに暮らしていた。行くときは夜から朝にかけて。狭い一人用のベッドでこなした。今は静岡のほうで彼と暮らしているという。学校でみていた水色の制服が自宅の洗濯かごで裏返しになって入っ

        • 太郎君

          掲示板がまだネットに出てきたころはみな携帯のアドレスや電話番号はそのままネットに乗せていたと思う。大学生になった私が知り合っていた茨城に住んでいた女性は、とても好きでいてくれて、私もそれが心地よかった。その地区に半年住んだこともあったために祭りや登山や、半同棲をして時間を重ねた。ある朝にトイレから出てくると彼女は無言で出ていったが、私がほかの女性との関係があるのを、携帯をみて知ったのであろう。曇り空のやや寒い朝だった。言い訳もできないし当人はすぐに出ていったために、その後はS

          箱根 温泉事情

          そういえば週末の金曜日に新宿駅から出る桃源台行きの高速バスに乗って、今度は透明の蛸川温泉に向かった。ゴールデンレトリバーのような、きれいな長い髪の毛をしていた女性だった。胃腸を崩していたために意識が外に向かわないまま、夜は雪の降る寒くくらい一日だった。お湯がちょうどよく、胃腸を温めてくれた。循環だが加水がなく、充実感のある湯だった。千葉に子供を夕方に迎えに行く女性は、午後の日の高い時間帯に一室でことをしたのだけれど、どちらかというと愛情による行為というよりか、快感を求めていた

          箱根 温泉事情

          夏の日の海

          同業種の女医はふくらみのある頬をしていて、笑顔がとても素直だった。外房にある実家には毎週末帰っているとのこと。関係をもってからはたびたび私もそちらにお邪魔してはお酒をいただいた。ブランデーをいれていただいて、すき焼きを祖父としたのを覚えている。3階建ての実家はもと旅館を改造したもので、広々としていた。海沿いにシェフを雇っていたレストランを経営し、バリ料理や豪華な海鮮をいただいたことを思い出す。錦糸町から2時間ほど揺られてつく単線の行き違いのあるその駅からは私鉄が発着する。昔は

          夏の日の海

          湘南

          こぎれいな最近のビジネスホテルで、子供を連れて家を出ていかれてしまった訳あり女性が、こちらは上司と日本酒をあおってから部屋で落ち合った。なにか陰の漂う女性で、たとえば、主張したいことがあっても目線がすこしずれ、会話でも語尾に意識的かわからないが、聞き手が引っかかるようなアクセントを持ってくる。だから、聞き手は受け取る内容とともにすこしねじれた角を触っていることになる。しっとりとした肌ざわりとふっくらとした曲線があるのだが、首元からは母の匂いもある。歯列矯正のワイヤーが愕然とし

          霜降りの和牛

          東京の下町から埼玉方面にはしる鉄道をともに使っていたため、その路線上の私鉄の駅で会っていた女性がいた。会話をするときの内容や話すリズムが独特で、おそらくイメージをつなぎながら話しているのが、それはそれで楽しかった。同業者でもあったために一度職場を紹介されて、第3者を交えた食事があった。高級なお肉を出す焼肉屋で、二人の関係性を客観的な言葉にもしていないなかどう紹介されるのかと、まるで向こうの両親に会いに行くような緊張を覚えている。で、さて思い出せないのはどういう関係性かに対する

          霜降りの和牛

          それぞれの内面

          重たいどっしりとした湿度と、粒子の細かな熱に包まれる梅雨の朝。 太陽光は雲によってとらえどこのない輪郭をし、認識を阻む。 いつもより40分早くでて、6時台からまた例の遊郭内にあるマンションの最上階に、会いに行く。コーヒーを飲んで眠いながらに汗をじっとりとかいていて、週末ということも会ったのだと思うが、意識がすこし遠くにいる。 淡い青色、すこし紫。そういう色のソファと、同じく淡いピンクと緑のそれぞれのソファ。三つそれぞれの色を買ってしまうところが彼女らしいなあと寄りかかってバナ

          それぞれの内面

          夜の東海道新幹線東京行

          らしさってなんだろう。多く、一対一の関係しかわからない場合であるため、その女性がどういう社会的な関係を気づいているのかわからない。好意をもって接してきた女性は、20代後半か。それなりに優しく接していたのだがだんだんと要求が多くなってくる。そうするとこちらはそれ以上のやさしさは無理です。と断るのだが、そうはいかないと、傷口をチクリチクリと弄り回すように激しい暴言と社会的交流を破壊していく強烈な性格をもっていた。おそらく境界性人格障害なのだろう。私以外の私の関係性をことごとく壊し

          夜の東海道新幹線東京行

          日吉

          布や段ボールが、おそらく作られている工場や、加工されているところ、保管されている場所の匂いを吸い込んでいることがある。そんな匂いに似ている。ただ、ほんとにうっすらと女性の匂いもそこにはある。新潟から上京して、従業員5名ほどの服の製作会社で20代前半の勢いを費やす彼女いた。専門学校時代から服飾でその情熱を持っていたようで、忙しい現状の会社でも比較的余裕をもって働いている。当時まだ地上にあった東急東横線の夜のホームは、酔っ払った若い男性陣が、編成の中ほどに設定されている夜間の女性

          東武東上線

          池袋から電車で10分ほどの私鉄の駅から改札をでるとすぐある商店街を抜けて右へ。回り込んであるやや古めのマンションに引っ越し先をきめたその女性は、契約と引っ越しの合間に私を呼んでくれた。床が絨毯の部分があり、清潔感はあるのだが時間の積み重ねを匂わす床をベッドにした。 木目調のラックと間接照明を設置したダイニングで仕事帰りに泊まった際に作ってくれたさんまの煮ものを、半楕円型の机と、その柔らかな室内灯のもと缶ビールを飲みながらつまんだ。とてもセンスのある合理的なひとで、とても歩くの

          東武東上線

          餃子とハイボール

          コーヒーにするか紅茶にするか、たとえば日常では選んで決定する行為の積み重ねかもしれない。それをリズムとしてとらえるのならば、独特のリズムを持っているのであろうか。新築の白い部屋を好んで探したということを話していた。食事も、片づけるときのことを考えて食材を選んでいることも話していた。テクノのような繰り返しの美学の中に彼女なりの音を加えたリズム感を作り出していた。猫のように笑う時に感じる温度感がすこし冷ややかで、真っ白の壁に青みを加える。私からしたらこの白さは浅い眠りしか与えてく

          餃子とハイボール

          リズミカルな日々

          住宅展示場で案内をしている、いわゆる制服をきた30代後半の女性は、当時まだわたしが20代前半だったこともあってだいぶ年上に思えた。赤羽の赤ちょうちんでだいぶ酔って、モノクロのトーンのビジネスホテルに泊まったのを覚えている。酔っているテンションを暴力的にカウンターの方に投げつけるような、今思うと申し訳ない気分になるそのシーンがあった。 当時、結婚するまでに遊ばなかった。かつ結婚してから子供がいない。ということで若い男の子と遊びたいと言っていた、和装が似合う30代後半だったか。何

          リズミカルな日々

          着馴れた制服の厚み

          住宅展示場で案内をしている、いわゆる制服をきた30代後半の女性は、当時まだわたしが20代前半だったこともあってだいぶ年上に思えた。赤羽の赤ちょうちんでだいぶ酔って、モノクロのトーンのビジネスホテルに泊まったのを覚えている。酔っているテンションを暴力的にカウンターの方に投げつけるような、今思うと申し訳ない気分になるそのシーンがあった。 当時、結婚するまでに遊ばなかった。かつ結婚してから子供がいない。ということで若い男の子と遊びたいと言っていた、和装が似合う30代後半だったか。何

          着馴れた制服の厚み

          ロリータレンピカ

          若いときに渋谷のギャラリーを借りて、オーナーの堅物を口説いていいことに、渋谷川の壁に立つその画廊は、比較的自由に使える場所だった。本当に我儘ばかり。埼玉県の南に一人暮らししていた香水がいくつもあってたしかメゾネットタイプだったか。ただメゾネットとなると、上はクーラーのない熱い空間でしかなかった。時間があったのだろうか、歯科助手が休みの彼女の部屋で一日の欲を、汗をかいて費やすことはあったように思う。リンゴの容器の香水がやたら私は気に入った。そんな当時の彼女はるんるんと渋谷の画廊

          ロリータレンピカ