先日、芸人さんがやる大喜利の番組を観ていた。その日集められた芸人のテーマは「家が貧乏だった生い立ち芸人」という感じ。 大喜利のお題に、「貧乏をポジティブに言い換えてください」というお題があった。 これに対し、ある芸人さんが「これから」と答えた。 「これから」 なんて良い言葉なんだろうと震えた。決して安易ではない生い立ちでこれを出せる芸人さんにもリスペクトを感じた。 どんな逆境にも負けず、逆転してみせるぞというパワーを感じさせる良い言葉。簡潔でこの上なく強い。 僕は昔か
タイトルはみうらじゅん原作でかれこれ20年以上前の映画化された作品。 当時映画館に観に行って、たったワンフレーズ、ずっと脳裏に焼き付いて離れない言葉がある。 「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」 シンプル。でもどこまでも深い。迂闊に仕事に置き換えると秒で間違う事にもなりかねない。 でも、確実に真理を突いている。 「やらなきゃならないこと」は膨大にある。でもその中で特に「今」やらなきゃいけないこと。 近視眼的ではなく俯瞰で。 またある時には超近
これまで度々触れてきてますが、僕は息子のサッカーチームのコーチをしています。 子供達によく言うセリフがあります。「集中しよう!」「ボールをよく見よう!」(こんなくだり前もあったけどご愛嬌) 先日、コーチをしながら合間に僕もボールを蹴りました。リフティングというボールを地面に落とさないようにひたすら上に蹴り続ける初歩的な練習。 これが歳のせいにしたくなるほど上手くいかない。 普段言っている言葉がブーメランで自分に刺さりました。「ボールをよく見よう!」 よく見る。とは?
オリンピック。終わりましたね。ただの1競技もリアルタイムで観てません。笑 スポーツ大好きなんです。観るのも好きです。ただ仕事の事を考えていてあまりソースを割く気になれなかったというのが正しいところ。 日々のニュースを見ていると、やれ誰がメダルを取ったとか、惜敗、とか。ふと疑問が湧きました。 「そもそも今回のオリンピック、何の競技があるの?」 調べてみると、ニュースでひとかけらも取り上げられない競技が沢山あり、驚きました。 メダルに届く見込みが無いからなのか競技性の見栄え
やった事ありますか?「真剣に遊ぶ」。 簡単なようで、意外とメンバーを選んだり自分自身のテンションであったりで、どうしても真剣さの波ができる。 鬼ごっこ、ガチで捕まえ、逃げる。 隠れんぼ、死ぬ気で隠れる。 ドッジボール、どう外野と連携して仕留めるか徹底的に考える。または相手の思考を読んでひたすら逃げる。 ブランコ、限界まで勢いをつける&飛ぶ。 誤解を招く言い方かもしれませんが、仕事でも 「真剣に遊ぶ」を、忘れたくないと常々思います。 どう仕掛ければ楽しいか。何をやればもっと
先日息子とかなり長い時間話し合いをしました。 内容は息子のサッカーへの取り組み方について。 息子は言います。「プロサッカー選手になりたい!」 本当になれるかは置いといて、子供がやりたいと言っている事は全力で応援しようと思います。 しかし、普段の生活を見ていると「本当になりたいの?」と思う練習量と質。 セレクションや強豪チームの練習に参加しても、同年代の上手い子達から特に強い刺激を受けている感じも無い。 お世辞にもサッカーに凄くのめり込んでいるとは思えない。 親としては健
サッカーが好きです。息子もサッカーをし、稚拙ながらボランティアコーチも務める程度には好きです。 少し前の試合になりますが、3/11 イングランドのサッカーリーグ「プレミアリーグ」でのリバプール(以下LP)vsマンチェスター・シティ(以下MC)の試合。 MCのエースであるハーランドにボールが渡ります。 目の前にはLVのディフェンダーのファンダイク1人。 前方に広大なスペースが空いており状況は絶対絶命のピンチ。 ハーランドは類稀な決定力とスピード、更にはフィジカルの強さも合
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉があります。 つまらない人物には大人物の遠大な志はわからない、という意味合いです。(低い所を飛んでいる鳥には、更に高い所を飛んでいる鳥の気持ちは理解出来ない、という事から) 程度の差はあれど、多かれ少なかれ当てはまる事はよくあります。 僕も20代の時、初めて管理職に就くまでは「上司やオーナーの考えてる事は分からない!こうすればもっといいのに!」とよく自論を語る鼻っ柱の強い人間でした。 自論を持つ事は何も悪い事ではありません。今で
僕は息子が所属しているサッカーの町クラブのコーチをしています。とはいってもガッツリ本格的ではなくお父さん達がほぼボランティアでやる、肩の力の抜けた感じ。 子供達がドリブルの練習をする時に、よく「ルックアップしよう!」と声をかけます。 技術が拙いと、足元を見ながらドリブルをするので前方をちゃんと見れない。 それはつまり仲間や対戦相手の位置等、さまざまな情報を見落とすことになります。 なので、顔を上げて視野を広く保とう!という意味合いで「ルックアップ!」と声をかける訳です。
最近服を買いました。とてもシンプルだが、丈夫で着回しが利く。そしてちょっとだけ遊び心があるデザイン。 昔は友人に「色キ◯ガイ」と言われるほど多彩な色や形を合わせ倒して遊んでいましたが、違う楽しみ方も出来るようになってきました。 一見派手ではなく、でもどこかオシャレ。品がある。そして肩の力が抜けている。 そんなんが理想。そういうのが一番難しいけど憧れます。 料理も同様で、あれこれ調味料入れ倒して遊び倒した調理法も好きですが、シンプルな事に少しオリジナリティを加えたものが一
少し昔のイタリアンを舞台にした漫画の中に、こういうセリフがあります。「大事なのは、愛さ」 主人公が一流の料理人を目指して上京するも、キッチンは程々にホールに回され、不慣れな環境に悪戦苦闘している時にホールの責任者が言う一言です。 僕も会社に新しく加わる仲間にいつも「自分の一番大事な人が来店されたと思って全ての事に取り組みなさい」と伝えています。 なぜなら、大事な人には満足してもらいたいからあれこれ考えたり気を遣ったり、とにかく心を砕いて対応するからです。 それは一言で言う
毎日目の前を色々な景色が過ぎていきます。 色々な食べ物を食べ、音楽を聴き、モノに触れます。 僕は時折、映像が音として頭に入ってくる感覚があります。 また、音が映像として頭に入ってくる事もあります。 食事の時でもとてもカラフルな料理であったり、味のグラデーションやテクスチャー、口に入れた時の食感や鼻腔で感じるお酒の香り、様々な要素で同様に音楽のように感じたり、色彩を感じたりします。 以前画家の友人と話している時に、やはり同様の感覚が絵描きにもあるようで、非常に話が盛り上が
突然ですが、皆さんは「差別」を受けた事はありますか? 僕は生まれた地域が俗に言う「部落差別」の対象とされていた地域で、直接的ではないものの身の回りでそういった扱いを受けるのを目の当たりにした事があります。 親戚の結婚相手の祖父母から、出自の場所だけで結婚を反対されたり、親の仕事を伏せるように言われたり。 僕の祖父や父親は屠畜の仕事に携わっていました。 屠畜業は、その地域の差別を受けていた人達が昔従事していた仕事だという事で、結婚相手の両親にご挨拶に伺う時に伏せた方が良いと
よく言われますね。「トライ&エラーを繰り返せ!」 店舗を構える僕達のトライ&エラーとは何でしょう? 日々何も考えず同じように仕事をする事は当然「トライ」ではないですね。従って「エラー」も起きない。 それは安定しているという面においては大事な事ではありますが、成長がありません。 昨日より一歩でも前に進むために、昨日の、もしくはそれまでの営業を振り返る。 お出迎え・接客・料理・中間サービス・お見送り。(細分化すればもっと分けれますね) 昨日よりももっと良くする所が一つも見当た
日々、沢山のお客様がお店にいらっしゃいます。 とても有難い事です。 しかしながら、時折僕達は日々の仕事に追われ、作業の一部として対応をしがちです。 お客様にお越し頂かないと成立しないのが飲食業。予約のある無しに関わらず、お客様が来店されるという事はどういう事か。 これを読む、一緒に働いてくれている皆さん、考えた事はありますか? 僕は、飲食店を構えてお客様に来店して頂くという事は「お客様との約束」だと思っています。 お店側からは「お客様に満足させます」という約束。 お
今でこそ飲食業にどっぷりですが、僕は7年程前まで、10代からひたすら音楽に打ち込んでいました。(今も完全にやめてはいませんが) 仕事では飲食業にずっと携わりつつ、夜中に作曲とライブを繰り返す日々。 ひたすら打ち込み続けている時に、一つの事に気が付きました。それは、「世の中の様々なモノ・コトをつくるという事には、根底に人の心が繋がる大きな源流のようなものがある」という事でした。 他ジャンルの人と話をしていても、「あ、その感覚分かります」というような事がよくあり、それはクリエ