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仮面浪人時代の追憶(その4)

東京に来て最初に驚いたのは人の多さだった。
たしかに大阪も多かったのだが、東京はさらに、という感じだ。
まず朝の満員電車がキツイ。特に山手線の新宿~高田馬場間と東西線の高田馬場~早稲田間がキツかった。まさにすし詰めというもので、バイトの学生の駅員が乗客を押し込んでいた。
また、人の多さで一番驚いたのは渋谷のスクランブル交差点である。(これがテレビで見かけたあの場所か)というインパクトは大きかった。特に休日の人の多さは驚くべきものがあり、大都会東京というものを実感した。

大学では、よく奈良学園から政経のY君と図書館の休憩室で雑談をしていた。今は改装されているが、休憩室では主要五紙が置かれており、毎日全て読んでいた。図書館内の本も無料で読めたし、図書館というものは大学の文化だと思う。学生の皆さんにはぜひ上手く活用してもらいたい。

そういえば、法学部の八号館は00年代に改築されている。以前の八号館はかなり古い建物だった。地下にはサークルブースがあり、革マル派の拠点になっていたと聞く。ちなみに当時、革マル派の資金源となっていたということで早稲田祭は中止になっていた。時代である。

サークル回りにはまだ続きがあった。まず、「ナンパ研究会」というサークルがあった。連絡して行ってみると、「君、彼女を作るなら、アメフトだよ」というアメフトサークルの勧誘だった。こんなことをしていいのか微妙だが、当時は許されていたのだろう。
そして、なんと、「仮面浪人稲門会」というサークルがあった。連絡をして行ってみると、なんと人物研究会のダミーサークルだった。当時はダミーサークルは本当に多く、ネットがない時代だからこそ色々あったのだと思う。

さて、Gという学習塾のアルバイトには一橋生も4名ほどいた。一橋大学、進学者は高校、予備校ともにいたが、関西ではマイナーとされている大学である。ところが、関東では評価が高い。早稲田より格上という扱いだった。私はよくわからず、「一橋も早慶も同じじゃないの?」と思っていたので少しびっくりした。一橋アンチだ、と言われることも多いが、純粋に田舎者、また関西人としてはマイナーな大学のため、評価が高く驚くというものがある。地域性ということなのだろう。

あるアルバイトで麻布出身東大法学部生で旧司合格者のUさんという方と知り合った。大学受験のことを聞くと、数学が得意だと言う。「現役でも三完半をしたが、地歴が間に合わず落ちた」とのこと。一浪では、地歴を詰めて合格したらしい。数学が得意科目の文系は私の母校にもいたが、都内の進学校にもいるんだな、と感じると同時に地歴が苦手というのがよくわからなかった。私は日本史も世界史も倫理も校内3位以内の常連だったため、地歴はかなり得意であった。麻布のような進学校で東大文Iを受験するレベルで地歴が苦手というのがよくわからなかったのである。また、司法の話を聞くと、「伊藤塾で勉強するだけだよ」とのこと。「司法試験1期合格者の先生のもとで9時~17時でアフター5を楽しむよ」とのことだった。東京では東大法学部生が出没するのは凄いと感じた。田舎にはそんな人はほぼいないので。

6月で印象的だったのは、早稲田専願の友人に言われたこんな一言である。私が東大文Iに対する未練を抱えていることに苛立ったのだろう。「佐藤、おまえ、そんなに文Iが好きなら早稲田辞めろよ!」とのことだった。私は突然のことに面食らってしまった。まあ、専願で入ったなら怒る気持ちはわからなくもないが、それを本人に怒気も交えて言ってくるというのはなんとも、である。私大文系専願というカテゴリーに嫌な印象をそのあたりから強く覚えるようになった。

7月になり、大学の定期考査のシーズンである。私は考慮の上、単位をほぼ切った。取ったのは英語くらいである。背水の陣を引いてしまったわけである。今考えれば失敗だろう。プレッシャーがかなり強くなってしまう。

そのような前半の学生生活を終え、新幹線で実家に帰ろうとした。ところが、新幹線がトラブルで止まり、新大阪から帰れなくなってしまった。そこで、隣の席の大学生とファミレスで時間を過ごすことになった。聞けば、高知大学医学部の学生だという。奇遇だと思い、色々話した。私の母校の話を出すと、「センバツ準優勝の強豪校だね」と言われた。私の母校と言えば、世間一般的には甲子園のイメージなのである。

実家でお盆休みを過ごした。私は当時、自分の受験に気を割いていたこともあり、野球には興味がなく、智辯和歌山の優勝の瞬間すら見ていなかった。しかし、先述の高知大学の医学部の学生からのメールに、「智辯和歌山、夏の甲子園優勝おめでとう」とあり、それで気付いたのだった。今は智辯和歌山野球ファンとして、毎年の甲子園を楽しみにしているが、当時は智辯野球より自分の東大文I入試。野球より受験だったのである。そんなこんなで夏が過ぎていった。

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