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仮面浪人時代の追憶(その1)

仮面浪人を決めてから、3月に駿台時代の友人たちとスキーに行った。みな、合格で浮かれている。私は時折、数学の参考書を見ていた。仮面浪人を決めていたからである。人生初のスキーはそれでも楽しめた。
何事も経験してみるのは良いことである。

3月下旬に奈良学園のY君から電話がかかってくる。
「俺、早稲田の政経政治に合格したからよろしくな。仮面浪人で東大を受けようと思っている」
とのことだった。Y君は一橋社会志望だが、早稲田政経で得意の地理が大当たりし、合格したらしい。一橋社会には落ちたそうだが。
かなりラッキーな部類だろう。(それでなぜ仮面浪人?)と正直なところ、私は思った。

親族の反応は微妙な形だった。
みんな東大文Iが第一志望なのはわかっている。
早稲田法進学で慶應文、中央法法にも合格。
一般的には郡部ではあり得ない実績ではあるが、東大文Iに行きたかったとなれば、お祝いもしにくいところだろう。

私は国領にある学生寮に入ることになった。
そこに引っ越しの準備をする。
父が付き添ってくれた。
一人部屋でかなり狭い。
ただ、朝夕食事付で寮費は5万。コスパがいい。
風呂、トイレは共同で建物自体は数十年が経過していそうな古いものだった。
寮母のKさんが出迎えてくれる。
「佐藤君、入寮おめでとう」
と言われる。上沼恵美子似の方だった。
早稲田法の先輩であるS先輩を紹介された。
当時、県人寮には「部屋っ子」という制度があった。
先輩が後輩につき、生活の指導をする、というものである。
私はS先輩の部屋っ子となった。
S先輩は県南部の公立高校から指定校推薦で早稲田法に進学したらしい。
今の指定校叩きも当時の私なら理解できるところがある。
自分は文Iに落ちて一浪して早稲田法。
それよりかなり学力の低い公立高校の方が指定校推薦で同じ早稲田法に進学している。なんとも言えない気持ちになった。

そして翌日、4/1は早稲田の入学式である。
まず、法学部の学部入学式があった。
大隈講堂内に入る。
隣には女子学生が座っている。
出身地を聞くと岐阜だという。
和歌山出身者は珍しいようで驚いていた。
早稲田は本命かという話になり、「父が早稲田出身なので本命です」
という話だった。私も聞かれ、「東大文Ⅰ落ちですが、早稲田はいい大学だと思っています」と心にもないことを言う。
入学式では早稲田の恒例として、『都の西北』を腕を振りながら歌う。
「ワセダ、ワセダ、ワセダ、ワセダ、ワセダ、ワセダ、ワセダ」
というフレーズがあるが、その時は気持ちが悪く、胸が圧迫された。
(こんな大学絶対に一年で出てやる)
というのが本心だった。隣の席の岐阜出身の女子学生に携帯の番号を聞くと、「私、携帯電話持ってないんです」との返答。(同じ学部の同期になんで電話番号も教えないの?)と少しイラっとした。ナンパと思われたということだろう。

学部入学式が終わり大隈講堂から出ると、新歓の勧誘が長蛇の列だった。
テニスサークルやバドミントンサークルや文化系など色々なサークルがあった。バドミントンサークルのサークルブースに赴く。そこで私は、一年で抜けるつもりだったので、「学外者も入れるんですか?」と聞く。「君は早稲田生ではないの?」と返され、「いえ、法学部の一年生です」と答えた。不思議そうな顔をされた。思い返せば、東大に受かれば新たな出会いもある。早稲田のサークルに義理立てする必要はないのだが、コミュニケーション能力が低かったということだろう。色んなサークルのブースを回った。新歓期間は接待のようなものなので楽しかった。色んな学部の入学式が複数日に渡って行われるので毎日のように新歓に顔を出し、楽しんでいた。春は早稲田を味わい、どうしても無理だったら、仮面を続行しようと考えていたからである。ただ、都の西北のワセダ連呼はトラウマとして当時は記憶に残った。

学生寮に戻った。そこでは同期に明治のM君、T君。私立理系のT君、同じ高校出身で一浪東大のS君、同じ高校で現役東工のN君、法政のH君、東京海洋大のK君など同期が沢山いた。
歓迎会では、大学別に校歌を歌う。早稲田ということもあり、またもや都の西北を歌うことになる。都の西北は今でこそ嫌ではなく、懐かしい思い出ではあるが、当時は本当に嫌な思い出ばかりがある。
そんな折、明治のM君の部屋に入ると、学習参考書があった。尋ねると、「いや、実は俺、仮面浪人するんだよ」とのことだった。
「僕も東大を受けるよ。どこを受けるの?」と返すと、「大阪府大を受けようと思っている」とのことだった。仮面仲間ができた、と思い嬉しくなった。また、一級上の先輩で去年仮面浪人をしていた、という先輩を紹介された。早稲田理工のA先輩という。話を聞くと、「今年も医学部を受けようと考えている」とのことだった。3人と同期含めて何人かでよく麻雀をすることになった。楽しい思い出である。
4月上旬は新歓と麻雀で過ぎていった。

続く

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