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高校時代の青春②

厳しい智辯和歌山生活も夏になった。
進研模試も受けたろうか。英語で99/100点を取り、科目別偏差値が80を超えたのを覚えている。

智辯和歌山では高校野球全校応援がある。
出席を取り、体育の授業扱いである。
夏の紀三井寺球場の県予選、夏の甲子園、春の甲子園は全校で応援する。
今は小学校のクラスもできたが、中等部高等部が応援する。

夏になり、野球応援が始まる。
智辯和歌山は、エース高塚、中谷、喜多、清水などの活躍もあり、96年センバツで準優勝していた。
期待値も高い。
夏の県予選では初戦、和高専をコールドで破った気がする。
あれよあれよと勝ち進んで甲子園を決めた。
暑い中での応援であったが、甲子園が決まったのは嬉しいことだった。

甲子園では、水戸短大付属高校との対戦であった。
「スイタン」と略すようであった。
甲子園でエールを送る。
智辯和歌山側から、「フレフレ、スイタン」とエールが送られた。

その後試合に入る。
内容はあまり覚えていないのだが、エース高塚は故障で投げられず、
代役のピッチャーなどが投げていた。
力負けで敗戦していた。

はじめての甲子園観戦は初戦敗退で終わった。
その頃は智辯和歌山の野球のファンではなかったので、まあ負けたか
と言ったものだった。


夏が終わり、編入の授業に戻った。
定期考査だが、クラス1位を取ったことがいくつかの科目であった。
最初の一学期中間考査では現代文で1位だった。
ラ・サール蹴りのI君と同点であった。
他にも古文や地理でクラス内1位を取った。
生物も好成績だったと記憶している。
やはり英数はみな学力が高い。
国語や地歴などそういった科目では大して勉強せずとも高得点を取れていた。
早く、中5(高2)になって、歴史を勉強したいと思っていた。

冬になり、大事な模試があると聞いていた。
学研模試と進研プロシード模試だという。
この二つの模試の結果をメインにクラス分けをするとのことだった。
東大文一に入りたいなら上のクラス以外はノーチャンスである。
気合を入れ、模試を受け、返却される。

以下、模試成績を公開する。
・学研模試
英語
75/100点 全国偏差値63.3 校内偏差値58.8 校内順位11/88 全国順位980/10938
数学
51/100点 全国偏差値54.6 校内偏差値48.9 校内順位42/88 全国順位3322/10920
国語
57/100点 全国偏差値60.8 校内偏差値64.4 校内順位5/88 全国順位
1483/10934
総合
183/300点 全国偏差値59.6 校内偏差値57.4 校内順位17/88 全国順位1519/10902

・進研プロシード模試
国語120/200点 全国偏差値60.8 校内偏差値62.3 全国順位112/783
校内順位10/89
数学117/200点 全国偏差値52.5 校内偏差値56.5 全国順位313/787
校内順位27/89
英語98/200点 全国偏差値50.5 校内偏差値51.0 全国順位383/787
校内順位37/89
国数英総合
335/600点 全国偏差値55.0 校内偏差値59.6 全国順位241/783 校内順位
15/89
志望校成績
東大文一38/73 D判定
だった。
編入から上のクラスは厳しいと聞いていたが、この順位ならまず大丈夫だろう。模試成績の返却を見て安堵した。

ちなみに進研プロシード模試はこの時代は、洛南・白陵・智辯和歌山の三校しかほぼ受験していない。今とはかなり様相が違う。ほぼ三校合わせた母集団の順位である。

冬に友人たちと開業医の娘さんのご家庭に遊びに行った。
T君、Sさんとその開業医のお嬢さんの家にである。
帰り際、送ってもらう際に、医師のお父様にこう聞かれた。
「クラス分けがあるが、佐藤君は志望校は決めているのかい?」
「文系を選択して東大文一に入りたいです」
それを聞いて娘さんは、
「珍しいなあ」
と答え、お父様は「大蔵省あたりに入りたいんだよね。頑張ってほしい。入れれば快挙だ」
という話があった。
思い返せば、この頃には既に文一や大蔵官僚への強い憧れがあったのだろう。

冬の面談でM先生と父とで話した。
「佐藤君は数学を克服すれば文一に行けます。頑張ってください」
と送り出された。今、考えれば、これで上のクラス(E組)は確定だが、当時は不安だった。

そして、高二に上がった4月、R君、T君、S君と一緒に下駄箱に貼り出された氏名を見る。クラス分けがわかる瞬間である。
結果は…
E組〇〇番 佐藤大輔
という記載があった。
私は安堵した。
これで文一への細い糸がつながったと。
他の三人はC組とD組(理系下位クラス)に流れた。
能開箕島校から智辯編入に入った12名のうち、上のクラスに入ったのは理系のO君と文系の私だけだと言う。
入ってからも厳しい競争。
これが管理教育校である。
上のクラスに入ったからと言って一切油断はなかった。
ここで勝ち切って文一に入る、と気持ちを新たに頑張ろうと決意した。

※模試成績は実際に当時受けた模試成績表が手元にあるのでそれを写しています。 


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