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仮面浪人時代の追憶(その7)

いよいよ、三度目の東大入試だ。

会場は相変わらず900番講堂。
三回受けるとどれがどれだか区別が付かなくなっている。
印象に残ったのは前の席の女子受験生。
受験票の名前が見えた。なんと高二東大実戦模試で文系トップを取った地方私立進学校の女子だった。あの模試では自分は学年トップ100以内につけていた。彼女は模試成績を追う限り、文Iトップ100には入り続けていたようだ。自分は現役生に追い抜かされ、秋は文IB。なんとか転がり込めればと思う。

国語は印象にない。
やはり印象に残っているのは数学。かなり易化していたと思う。微積も出題される。しかし、計算ミス。珠算弐段で計算ミスというのは通常ありえないが、極度の緊張感もあったのだろう。
歴史もあまりで英語はそれなり。
正直なところ、「また落ちたかも」というのが本音のところだった。

発表まではネットで解答速報を見たりして過ごしていた。

そして、3/10の合格発表。
三四郎池前の掲示板に受験番号が張り出される。
番号を見ると、、、
今年も自分の番号はなかった。
さすがにこの時ばかりは胸が締め付けられるほど苦しくなった。
受験は二浪までと決めていた。
後期入試に出願できなかった以上、これが最後のチャレンジである。
東京大学文科I類とは縁がなかった、という事実を受け入れるのは難しかった。また、その年度から合格最低点が公表されるようになった。
開示点を科類ごとに見てみると、
文I344
文II327
文III329
だった。
「文IIにだしていれば…」
駿台の出願相談で、「東大に行きたいなら文IIだ」
と言われたのを思い出す。
そして、母に電話をする。
「お母さん、文Iはダメだったよ。開示を見たら、文IIとは17点差で。やはり文IIにすべきだったよ」
と伝えると、母は困ったようで、「とりあえず、寮にもどったら?」
と言ってきた。
自分としては、東大本郷キャンパスで二浪で文I落ちが確定した2001年3月10日というのは印象として強く残る苦しい日である。

寮に帰ると苦しみで二日間一睡もできなかった。
「青春を受験に費やしても東大文Iに入れなかった。自分の青春は一体なんだったんだろう?」と苦しむことになった。
高校から頑張れば文Iに入れるというのは傲慢だったのだろう。
だが、中学受験をする文化は地元にはなかった。
そもそも文IIIを目指せば良かったのか、早稲田法で諦めて司法試験を受ければ良かったのか、自分の選択が失敗だったと結果を突き付けられた形だ。

それから数日して代ゼミから授業料免除の手紙が届く。
代々木校75%免除だった。
記述模試や共通テストの自己採点から判断されたのだろう。
三浪にも関わらず75%引きは破格だった。
三浪していたら文Iにも入れたのかもしれない。
ここで心が折れて受験をやめてしまったのも失敗だったのかもしれない。
いずれにせよ、自分の受験はここで幕を閉じた。
「努力すれば報われる」
これはたまたま上手く行っている人の言うことだと思う。
公立中で首席、智辯和歌山でも文系で90人中10~15番で二浪までした。
それでも文Iには届かなかった。
文Iは自分が立身出世するための登竜門でしかないと思っていた。
大蔵省内定は運もあるとはいえ、筆記試験の文Iはクリアできると思っていた。
なんと自分は馬鹿なんだろう。と自分を責める日々が続いた。

仮面浪人編

他の時代の執筆をする予定です。
ぜひまたお読みください。

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