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塩尻青年会議所への出向を終えての所感

2018年1月から2019年12月まで、市役所から研修出向という形で公益社団法人塩尻青年会議所に所属していました。通称。
1年目はただの1メンバー、2年目はまちづくり・研修系の委員長を拝命し運動・活動を行っておりました。

この2年間のこと(特に委員長時代)を振り返りながら、意味づけをしてみようと思います。

青年会議所ってなんなんすか?

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青年会議所とは、20〜40歳のいわゆる「青年」によって組織され、様々な運動・活動を行う団体です。略称は「JC」です。

実は世界組織で、国際青年会議所という国際NGOがあります。その下に各国の青年会議所があり、日本だと「日本青年会議所」が存在。その下に「北信越地区」-「長野ブロック」-「塩尻青年会議所」という形で単位ごとに組織体が持たれ活動をしている、というわけです。
なので、もしかしたらこれを読んでいる方のまちにも、青年会議所が組織されてなんらかの運動や活動をしているかもしれません。

ほな、何をしてはるんすか皆様、って言いますと。

国際青年会議所が規定しているJCI Creed、即ち信条としては以下の言葉が連なります。

We Believe;
That faith in God gives meaning and purpose to human life; That the brotherhood of man transcends the sovereignty of nations; That economic justice can best be won by free men through free enterprise; That government should be of laws rather than of men; That earth's great treasure lies in human personality ; and That service to humanity is the best work of life.
【和訳】
我々はかく信じる:
「信仰は人生に意義と目的を与え人類の同胞愛は国家の主権を超越し正しい経済の発展は自由経済社会を通じて最もよく達成され政治は人によって左右されず法によって運営されるべきものであり人間の個性はこの世の至宝であり人類への奉仕が人生最善の仕事である」

全く意味が分かりませんね(笑)
今の社会としては、VisionとMissionで組織を表すことが多いと思いますが、実はそれもございます。

The JCI Vision
To be the leading global network of young active citizens.
【和訳】
青年の行動的市民活動を支援する国際的なネットワークをもつ先導的機関となる。
The JCI Mission 
To provide development opportunities that empower young people to create positive change.
【和訳】
青年が積極的な変革を創造し開拓するために、能動的に活動できる機会を提供する。

ん〜、なんかMissionは理解できる気がしますが、Visionはなんとなくしっくりこない気がする。。。目指したい世界観というよりはだいぶMission寄りなことを語っている気がします。

日本JCも宣言文と綱領を定めています。

JC宣言文
日本の青年会議所は混沌という未知の可能性を切り拓き個人の自立性と社会の公共性が生き生きと協和する確かな時代を築くために率先して行動することを宣言する。
綱領
われわれJAYCEEは社会的・国家的・国際的な責任を自覚し志を同じうする者、相集い、力を合わせ青年としての英知と勇気と情熱をもって明るい豊かな社会を築き上げよう。

また、JCで三信条と言われる「奉仕・修練・友情」という言葉も、JCの運動や活動の軸や存在意義として口に出されているものです。

以上、めっちゃだらだらと長くJCの紹介をしてきましたが・・・
上記の組織としての哲学を踏まえた上で、三枝なりに超絶シンプルにまとめると、要するに「想いのある青年たちが、社会や地域のためになる運動・活動をする団体」だと理解してます。

塩尻JCは現在30名前後のメンバーによって組織されています。
その中に実質的に地域に向けて事業を作る委員会が2つ存在し、「青少年育成」と「まちづくり・研修」を柱としています。
私は今年「まちづくり・研修」を行う委員会の委員長を拝命し「しおじり応援委員会」と名付け、様々な運動・活動を行ってきました。

しおじり応援委員会について

2018年6月、次年度の理事長予定者に塩尻の某居酒屋に呼び出されて「次年度、まちづくり・研修系の委員長になってくれないか」と打診されました。
「やってみたい!」と思いつつ、嫁に稟議のため電話したところ「移住2年目でそんなことを仰ってくれるなんて栄誉じゃないか、ありがたく拝命しなさい」と言われて、快諾しました。

そこから、自分の委員会は一体何をすべきで、どういう方針を立てるのかを延々と考え始めました。
私をご存知の方はよくお分かりのとおり、だいたい小難しく考えてしまう性格なので「何をするのか(What)」ではなく「なんのためにするのか・どう在るのか(Why)」から、委員会だけでなくJCの存在意義的なところまでネチネチと考える三枝。

その中で得た、委員会としての存在意義は「地域の課題を解決するための仕組みを構築する」ということ。

理事長の所信から持ってきた一文ですが、我々はまちづくりを柱とする委員会である以上、その活動内容の裏には「地域の課題」を背景とした活動をする必要があると思うのです。自分たちが「やりたい」ではなく「地域の課題を解決する」ということが、我々の存在意義と定義付けました。
さらに「仕組みを構築する」ということ。JCの組織は単年度で、年ごとで人が変わるたびに、方針ややることも変わります。良し悪しはありますがそれ故に、事業が打ち上げ花火的なイベントになりがちと感じておりました。それに対して「仕組み」として、2019年度が終わっても後に残るものを作りたいと考えました。

それを、どういった方法で実施するのか(How)、というお話。
私は「課題に向き合う多様なステークホルダーとの連携」「地域に資するに値する青年経済人としての資質やスキルや実力を習得」を掲げました。

そもそも、地域に存在する課題って、誰かしらがすでに向き合っていると思うんです。向き合いながら、その課題について考えて、すでに色々な活動を悩みながらしている人たちがいる。
その中で我々が何も考えずにいきなり「こんなのやりましょうぞ」と言っても、それってすごく失礼なことなんじゃないかと。我々ができることって、向き合っている人たちの「後押し」であり、向き合っているからこそできないようなことがあると思うので、それを「JCらしさ」として実現する。
そして、我々自身もその中でレベルアップしていく。

このWhyとHowを以って、我々の委員会を「しおじり応援委員会」と名付けました。

しおじり応援委員会の事業について

前置きがクッソ長くなりましたが、上に書いた想いで、2019年の事業を組み立ててきました。
我々は3月、7月、9月、11月に事業を割り振られておりました。

■3月公開例会”焼きたて屋亀原さんに学ぶ「チャレンジに失敗なし!!」”

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3月は研修系の事業を実施しました。
こちらは「課題感」というよりも、私自身の成長や、地域の経営に携わる方に対して必要なマインドってなんなんだろうというところに立脚して、講師の方とテーマをセットしました。

いわゆるよくあるスキルアップ系のセミナーでもよかったのですが、それでは面白くないというか、他でもやってそうだし・・・ということで、セミナー講師ではなく実際に事業経営をしている先輩にお話をお伺いしよう!
ということで、塩尻在住で全国に「焼きたて屋」「たことハイボール」「つなぐ横丁」など様々な業態をめっちゃ大きく展開している亀原さんをお呼びして話を伺いました。

私が主導で「誰かを講師にアサインして」「場を回す」というのは初めての経験でした。
亀原さんとは事前に直接お会いしての打ち合わせ、オンライン会議、そして飲み会(3軒はしご笑)とみっちり話して事前にストーリーとかも思い描きました。
50名弱の方が来て亀原さんのお話を聞いて、懇親会にも参加をいただきました。

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初めて事業を作って、何より感じたのは「自分が一番事業を創った価値をゲットしている」ということでした。
学びや成長ももちろんですが、亀原さんとのご縁なんか、自分が講師依頼して単なるセミナー以上の想いを込めたからこそいただけたものなのかなーと思います。
労力をGiveした分、自らのGetが大きくなる構図を実感しました。

■7月公開例会”第44回塩尻玄蕃まつり”

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7月は塩尻の大門商店街で44年続く「塩尻玄蕃まつり」において、夕方までの第1部(第2部は夕方から夜まで踊る)のメインステージ周辺におけるイベント企画です。なんというか「玄蕃まつりが盛り上がったかどうかは第1部の企画にかかっとるけんね!」みたいな、割とプレッシャーな立ち位置。
更に言えば、今年は市政施行60周年で玄蕃まつりもその記念行事の一つ&昨年台風で中止になったということで、今年は特別プレッシャーがかかった年でした。
市長や市内の立場ある方によって構成される玄蕃まつりの実行委員会に初出席した時「理事長って幹事長の立場なんや。というか俺も幹事の一人なんや」とか「60周年でJCによる特別企画ありってなんの話や!」とか「わっ、みんなスーツ!(一人スーツじゃなかった!)」など、いろいろ驚いたのを覚えてます。

昨年のまちづくり委員長が今年副委員長だったので、基本的には昨年中止になって実施できなかった企画をパワーアップさせて実施の方向。
その上で、ステージに呼ぶゲストは単に客集めのための誰かしらではなく、一本筋の通った方をお呼びしようと思いました。

まず、この「玄蕃まつり」って誰のためのものなのかを考えました。
「市民まつり」である以上、参加してくれる市民来てくださった来場者の方のためのものなのは勿論なのですが、それ以上に私は、まつりを一緒に作ってくれる我々の企画「コンコンダンスフェスタ」に出場してくれる人が喜ぶものにしなければならないと定めました。
だからこそ、出場者が普段の練習の成果を「多くの人に見てもらう」こと。そして「出場者が喜ぶゲストの方をお呼びする」こと。
この2点を軸に考えつつ、その上でまつりを滞りなく運営するオペレーションの構築がメインのミッションでした。

色々とゲストにお呼びしたい方を議論した中で、一番最初に候補に上がったのが「EXILE」含むLDHグループの方。
タイミングよく長野県とLDHが今年、包括連携協定を結んでいたことと、LDHグループFANTASTICSの某さんが塩尻出身だったということを耳にして、市長や塩尻市の秘書広報や長野県の営業本部を通して交渉してましたが「日程の都合でNG」とのこと。
そんな中、候補に上がったのがあのバブリーダンスを演じる「登美丘高校ダンス部」でした。
高校はさすがに県外はNG、キャプテンを務めていた伊原六花は映画撮影でNG、最後の頼みの綱で振付師が立ち上げてOGが所属する「アカネキカク」にお声がけをしたところ、日程も都合よくOKをいただき、お呼びすることになりました。

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バブリーダンスを全面に押し出して集客を図りつつ、コンコンダンスフェスタ出場団体には「ダンス終了後にすべての団体にコメントをして欲しい」ということを取り付けて、出場団体が「ダンスしててよかった」「これからも頑張ろう」というモチベーションになるように設計しました。
交通費と出演費用が足りなかったから、委員会メンバーで金策に走ったのも良い思い出です。高校の文化祭かと。

毎年の充て職的な要素もあるので、適当にこなして無難な企画で終わることはできる事業でした。
でも、やっぱりそこに「何故やるのか」「誰のためなのか」を考えた時に、上の軸を見出してそこから考えることにしました。
結果として例年以上に多くの方にお越しいただき、何より出場団体が本当に喜んでもらったのが、委員長として嬉しいことでした。

※こんな投稿もしてたなあ・・・
https://www.facebook.com/shiojiriseinenkaigisyo/posts/2449481411779319

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■9月公開例会”たのめの里フォトロゲイニング大会”

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今年最も想いを込めて様々な設計を施した事業でした。
この塩尻に存在している地域資源を発掘して、その魅力を市内の人も市外の人も体験できて、そしてファンになってもらいたい。
そんな想いで、塩尻市北小野&辰野町小野を合わせた「たのめの里」にて、フォトロゲイニング大会を開催しました。
※フォトロゲについてはこちらから。
http://photorogaining.com/about/rule/

塩尻JCは大門地区や広丘地区で事業をすることが多かったのですが、本当に人口減少や少子高齢で困っている地域って別にあると思い、愛着のある北小野地域を選びました。
移住して2年ですが、北小野の方と話したりすることも多いのと、飲んで話している中ですごく良くしてくれて、なんとなくですがちょっと違う思い入れを持ったりしておりました。
我々としても1年目のトライなのでがっつり色んな連携はできなかったですが、北小野振興会や小野地区振興会に企画説明と挨拶を行い、大会で使うスポット候補地を大きな地図を広げて教えてもらいました。

単年度制のJCだと、本当に事業が良かったとしても次年度に続かないという課題感から、実行委員会を組織しました。
塩尻市と辰野町、双方で「面白そうやん!」と言ってくれる人たちを集めて、塩尻JCとは別に組織化。地域おこし協力隊や、北小野保育園の保育士、ただただ興味を持った三枝の妻など、それぞれの興味で集まってくれました。
JCの委員会とは別に実行委員会も定期的に行って、準備から当日の運営までみっちりと関わってもらいました。

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結果として、約60名の方が全く以って観光地ではないたのめの里に足を運んでくれ、そのうち半分は県外者で、たのめの里をみっちり4時間歩いたり走ったり、地域の魅力を堪能してくれました。
参加者は勿論、地元の皆様からもすごく受けが良くて、実行委員会主体で来年も開催することが決まりました。

何か一つ、地域のために少しでも貢献できて、後に残るものが作れたのかなーとか感じております。

※こんな投稿もしてたなあ・・・
https://www.facebook.com/shiojiriseinenkaigisyo/posts/2554105187983607

■11月公開例会”雇用革命!〜新たなる時代の人材活用とは!?〜”

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しおじり応援委員会最後となる事業でした。
端的に言えば「障がい者雇用に少しでも関心を持ってもらうためのパネルディスカッション」でした。

昨年、塩尻市で5年前から実施している官民協働事業のMICHIKARAにて、私は塩尻市社会福祉協議会が抱える「塩尻市内企業における知的障がい者の雇用促進」をテーマに、フィールドワークを実施し問題の構造化とソリューション検討を行いました。
この課題は根深く、なかなか一つの有効なソリューションが見出せず、それ以降、心の中で何かそれに少しでも携わりたいという想いを抱えておりました。

一点突破で何かが劇的に変わるわけではないし、地道に伝えて一人ひとりが考えていかなければいけないもので。
多分JCとしてできることってあまりないと思うのだけど、少なくとも「考えるきっかけ」くらいは作れるのではないか。巷には様々な障がいについて考えるシンポジウムがあるが、そもそも上記の課題にストレートに刺さるような経営者をターゲットにしたものってないのではないかと考えて。
JCが持つ「メンバーに経営者層が多い」「経営者ネットワークが強い」ことをリソースに、経営者が障がい者雇用を経済的合理性の元に検討をしたり、どんな支援があるかを理解できる場を設計しました。

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パネルディスカッションは「実際に雇用するなど何らかの取り組みを行っている経営者層」の3名と「障がい者の雇用・定着支援を行っている組織」の3名にお声がけして、2回実施しました。
特に後者については昨年のMICHIKARAでお話を聞かせていただいた方が3名全員で、いきなり電話したら「覚えてますよ」と仰っていただいて快諾してくれたのがすごく嬉しかったです。

そもそも関心がないテーマを掘り出して関心を持たせるという事業の性質上、集客は苦労しました。費用対効果で言えば、参加者という量的な観点では確実に失敗だったと思います。
ただ、今回の事業をきっかけに「支援側の参加者とつながって、自社で従業員向けに勉強会を開いた」「自社の仕事の一部を切り出して、B型作業所に発注した」というお言葉を後からいただき、質的な観点としては少しでも誰かの価値観を変えられた事業だったと思います。

※こんな投稿もしてたなあ・・・
https://www.facebook.com/daisuke.saigusa/posts/2447994848631656

JCを2年やって考えたこと

2年間で研修出向の期間が終了します。
延長することもできたのですが、色々と考えて一旦JCを離れることになりました。40歳まで何年も続けた方には「何言ってんだこいつ」という感じかもしれませんが、2年間で感じたことを書いてみます。

JCの存在意義とは何かと問われた時に、前に挙げた3信条とか様々な表現をすることができます。
私はその中でも、JCはどこまでいってもその存在する意義や目的は「人材育成(修練)」であるべきで、「地域づくり(奉仕)」や「ネットワーク(友情)」はその手法であり結果であるべきだと考えます。

JCには我々のような企業や行政からの出向者もおりますが、その多くは経営者です。情報源として正確か分からないですが、Wikipedia先生によれば正会員の約9割が代表者・取締役・管理職だとか・・・すげえな。
JCのメンバーや先輩方含めて様々な経営者の方とお話しする機会をいただきましたが、その中で感じたことは、経営者にも成長するプロセスがあるのではないかということで、それがJCの組織に組み込まれているという仮説です。

もう全くもって偏見だらけの仮説ですが、経営者の成長プロセスの一つに下記の軸がある気がします。
①自分自身のことを考えて経営する。
②社員のことを考えて経営する。
③自社のあらゆるステークホルダーや地域のことを考えて経営する。
(④社会や国家という大きな枠組みを考えて経営する←これはまだ自分でも言葉化できてないから、括弧付け)
①や②は多くの経営者の方が実践をしていると思います。最初の方の「うまく経営をしないと」という自省が強めの経営から「自社の社員を食わせて、路頭に迷わせないようにしないといけない」という責任感が強まるようなプロセス。

一方で③まで考えることのできる経営者はあまりいないのではないでしょうか。
塩尻のような人口67,000人の都市って、特に経営と地域が密接に結びついていると思うんです。JCならずとも地域内企業との繋がりはすごく強いし、その中で相互に助け合ったりしている。また、地域の発展が自社の利益につながることも多く、共存共栄の関係にあると思うんです。

JCはあくまでその目的を③の経営者に成長することを目的として、その手法として「地域づくり(奉仕)」という思想を盛り込み、成長の結果として地域が良くなる。
そして、事業を作っていく中で単なる飲み仲間以上の強固な「ネットワーク(友情)」を作ることができる。

多分、これはJCを運営する上で揺らいではいけない存在理由だと感じます。

塩尻JCは現在「公益社団法人」であり、収入の決められた割合を公益事業に費やさなければなりません。即ち、地域や社会のために活動することが半ば自動的に義務付けられているのです。
一方、直近では会員も減っており、完全に個人の予想ですが公益社団法人を維持するのが困難で、「一般社団法人」になる選択も検討することがあるのではないかと思います。

その時には「そもそもJCってなんのために存在するのか」という価値観や哲学を議論する機会が発生すると推測されます。
JCは単なるネットワーク団体でも、仲良しこよし団体でもなく「地域への奉仕を通して、自らを成長させるための団体」という軸は忘れてはいけないと思います。

私自身もJCの2年間で得られたもので一番大きかったのは、一緒に事業を作って苦楽を共にした仲間は勿論ですが、何と言っても自身の成長でした。
「自分で組織の方針を決めて」「自ら感じた課題や背景から」「人と金というリソースを使って」「事業を立ち上げる」ことは、職場ではこの年齢では絶対にできないことでした。
また、事業の効果や成果というのは、地域に落ちている課題に対してどれだけ深く分析したり構造化しているかどうかにかかっていると感じました。私自身が行政職員という立場で、移住2年でものすごく多くの方々と関わらせていただいて、その中で見聞したものがあったからこそ今年の事業を作り上げることができたのだと確信しています。これからもJCという立場ではないにしても、仕事の内外でこの地域に必要なことを、地に足をつけてやっていければと思っております。

職場でも新規事業を育てていく案件を持ちながら、春から夏にかけてJCの事業も企画準備しなければならなかった時は本当にストレスで精神の乱高下が激しく、飲み会で度々荒れながら、何回も飲みながら泣きながら議論したりもしました。ほんと、この歳で「マジかよ」っていうくらいエモく泣きながら話しましたよ。
でも、だからこそ、得られた成長がありました。得られた絆がありました。

たった2年間のみの出向という立場でのクソ生意気で何もわかってない若造の意見ですが、これが現時点での私の結論だなあと感じます。

そして、この2年間マジで好き放題JCでやってこれたのは、周囲にいて見守ってくれたり協力してくれた方のおかげだと思ってます。
JCメンバーや、委員会メンバーや、職場の方や、地域の方や、家族などなど、暖かく支えてもらいました。本当に感謝です。

以上にて、2年間の考察とさせていただければと思います。
なんだかんだ書きましたが、すごく楽しかったなあ。
委員会のメンバーが「今年の委員会はめっちゃ楽しかった」と言ってくれたのが、今年委員長をやっていて、本当に嬉しくて、やっててよかったと思った瞬間でした。
楽しかった!!!!

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コラム:「JCと応援団の共通性」

「単年度制」「理事になるにあたっての方針策定」「事業前に謎のセレモニーや、国歌やJCソング斉唱」と聞いて、関係者諸侯は思い浮かべるでしょう。

あ、それ応援団やんけ」と。

当初からJCに馴染んだ(と、勝手に思っている)のは、応援団経験ゆえにだったのかなあと思っています。
幹部になる前に半年くらいかけて100ページ余りに及ぶ幹部構想を、1個上の先輩に承認をもらわないと幹部になれなくて、練習終わりの23時から朝まで延々と幹部構想資料に対して詰められるのをずっと繰り返したことに比べたら、審議で承認されるまでの3回の三役会や理事会なんて全然耐えられるなあと(笑)

まさかこんなところで応援団が生きるとは思わなかったw

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