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大須健太・作品集 Ⅰ

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メンバーシップ会員の方に向けて書き下ろした、エッセイや写真詩、小説をありとあらゆるところから集めた作品集。
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記事一覧

過ぎ去りし日に

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読書の時間

 時には黙って、時には口に出して自己と静かに対話をする、それが読書である。もちろん、その本の作者は直接自分には何も言ってくれないし、本の感想を求めることもしてくることはないから、何が正解ということもなければ、途中で読むのをやめてしまってもそれまでだが、それだけに読書というものは、読んだ本人が自己完結しなければ成立しない行為である。  私はこの読書という行為、時間が昔から非常に好きであった。子供の頃、週末は地元の少年野球や少年サッカー、塾に通っている友達と一緒に過ごすことはな

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給湯器ラプソディー

歳月はあっという間に過ぎ去ってしまう。 つい先日、買い換えたばかりだと思っていた風呂の給湯器も、気がつけば十三年という歳月が流れていた。その間には祖母と祖父を見送り、コロナ禍を余儀なくされたそんな十三年だったが、今はそんな感慨に浸っている場合ではない。 先日、給湯器のメーカーの方に年に一度の点検に来て頂いたのだが、もうそろそろ寿命だと買い替えを勧められた。昨年まで我が家を担当してくれていた青年は、生憎、昨年のうちから「来年、異動になるかもしれません」と、私たち家族に話していた

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すし詰め

時折、遅い時間に食品売り場を覗いて見ると、店員が割引のシールを出す機械に値段を入力し、あっかんべーしたような長いシートが出て来るのを見かける。 こんなにも食品、それも調理してしまった惣菜が売れ残っているのかと、何とも言えない胸のモヤモヤを感じたものである。 随分前から食品ロスという言葉を耳にしているし、こうやって現実に目にもしている。あっかんべーに張り付いて出て来た割引シールを貼ったところで、客がたくさん来ていなければこの惣菜も一向に減らないわけで、どうしたものかと店の人

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ホームレス

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美しい死顔

私は今まで、何人か全くの他人様の死顔というものを、二十代の頃から見る機会が多かった。 別に葬儀屋に勤めていた訳でもなければ病院勤務という訳でもなく、その頃していた仕事上、ご年配の方と知り合う機会が多かったのだが、自然と情が湧き、亡くなったと報せを聞けば悔やみに行くといった、私はそんな質だった。 多分、あの時いつだったか正確には覚えていないのだが、初めて他人様の死顔というもの見たのは二十代前半の時だったと思う。

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回転寿司

 カウンターに腰掛けて、好きなネタを言って、目の前で大将という人に握ってもらう寿司というものを、私は今まで食べたことはないが、 自分の隣をくるくる回る回転寿司は、何度か食べたことがある。  いつ頃から、回転寿司というものが日本に登場したのか私は知らないが、一皿一〇〇円ちょっとという価格と、デザートや寿司以外の料理も皿に乗って運ばれて来ることも手伝って、一度に大金が飛んでいくカウンターで頂く寿司よりも、私は断然、それなりの味とメニューを提供してくれる回転寿司の方が好きである。

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物持ちの良さと神経質

 物持ちが良いせいか、同じものを長い間使ってしまうところがある。それは、全く悪いことではないのだが、短所でもあるなと、最近痛感している。  その中の物の一つとしてメガネがある。

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背中の重み

 普段、気の張る客と会うことがない限り、外に出ても人様に振り向かれるようなだらしのない格好だけはするまいと、それだけは心得ている。  なるべく物を増やしたくない性分なせいか、物をむやみやたらに買うことがない。従って、写真を写せばいつも決まり切った物を着ている、そんなタイプなのだが、それでも季節に合わせて何か一枚、服を新調する。  そのタイミングがついこの間、某アパレルショップの値下げの通知が来たことで、今がその時と思い、私は店へと買いに行ったのだった。

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女優のように

昔、私が二十代だった頃、お世話になった人でM子さんという女性がいた。

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書く忍耐

 様々なメディアが発達して、文章を書くという作業の形態も随分と変化した。実際に原稿用紙やノートといった紙に、鉛筆やペンで文章を書くのが昔ながらの正統派、王道というならば、異端と言うべきは、スマートフォンに指先一本での文字入力や、音声を入力することによって文章を書くことなのかもしれない。しかし、これらは全く異なる作業、工程ではあるが、そこに自分の思いを文字に託すという作業は結局のところ、どちらも骨の折れる作業であることに変わりはない。

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冷や汗ポロポロ

 この世の中に携帯電話というものが登場してから何十年と経つが、私はその間、一度も携帯電話を紛失したことがないのが自慢であった。しかし、その自慢できる唯一のことも自慢できない事態となってしまった。

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コインロッカーと鉄板焼き

 随分前の話だが、私と母で初めて一緒に日本橋まで出かけたことがあった。とは言っても、母子仲良しのたまのお出かけという、そんな呑気で楽しいものではなかった。  事の発端は十数年前、当時まだ存命だった私の祖父宛に、区役所から一通の手紙が届いた。その手紙には私の伯父、つまり私の母の兄、そして私の祖父の息子の死の報せが記されていた。

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静寂の五分間 女優・吉永小百合

 その女優が舞台に登場すると、会場からは盛大な拍手が送られ、そして歓声とため息が漏れた。その女優が言葉を発したその瞬間、会場にいる人間は一瞬にして静まり返り、女優の言葉を一言も聞き逃すまいと耳を傾けた。  その体は決して大きくはないが、その存在は日本映画を代表する女優として、そして、最後の映画スターとして、堂々たる気品と存在感を放つ。  女優の名は、吉永小百合である。  この度、吉永小百合さんは「難病克服支援 第三回MBT映画祭」の主旨に賛同され、映画祭のフィナーレを飾